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ネパールエベレストトレッキング2 ナムチェ・カラパタール編

11月7日〜11月12日

11日目  ナムチェ〜タンボチェ  11月7日

ナムチェ3440m→タンボチェ3860m (所要5時間)

ナムチェで早起きする人は少ない。食堂に行っても客は1人しかいないし、朝食の用意もまだだった。出発したのも私たちが一番早いくらいだった。朝はいつも天気がいい。朝日を受けて山がまぶしい。

なだらかに少し登り、また下る。あきちゃんはすぐにおしっこをしたがる。が、今日は私も途中でした。
後ろから続々とポーターやトレッカー、そしてヤク隊がやってくる。前からもやってくる。でも思ったほどの混雑はない。ヤクの角が、すれ違うたびにいつも怖いけど。

ゆっくりゆっくり歩いていると、肩が痛くなってきた。あきちゃんに合わせてゆっくり歩きすぎたからだ、と私がキレる。もう自分のペースで行くことにした。そしてマメに休憩する。そうしないと肩が痛いよ。ポーターの人たちもそうしてるし、荷物を背負っている時はその方がいいのかも。5時間の歩きの中で、最後の30分がつらかった。山がかなり近くに見えて、景色はかなりよかったんだけれど。
タンボチェに着くころから雲が出始めて、みるみるうちに山々が見えなくなった。霧が出てきてもう真っ白だ。(映子)

ナムチェを出発して30分。これから一歩一歩ヒマラヤの懐へと向かうのだ!とリキが入る。それとトイレが近いのは関係があるのか?
長いつり橋を超えて・・・ここからタンボチェへの長い登りがはじまる

朝の6時に起きるつもりだったのに、真夜中に歯が痛くて目が覚めた。ズキンズキンと奥歯が痛んだ。
3年間歯医者にいってなく、そろそろ虫歯になりそうな予感はあった。目で見ても、ここは虫歯ちゃうん?と思える箇所が2,3あったし、先月の一時帰国の際も歯医者にいこうかどうか本気で悩んだくらいだ。

しかし、なぜ、こんなときに・・・。あと1ヶ月半待ってくれれば、日本できちんと治療したのに・・・。これからあと10日間近く歩かなければいけない、それにこれからいよいよ、という時、この歯の痛みは精神的にこたえた。

トレッキング断念か・・・。最後の最後、やり残したことをしにわざわざ日本を出てきたのに。エベレストは僕にとっては鬼門なのか。なんで、こんなときに・・・。解決策を考えたが、いい考えは出てこなかった。10日間、この歯の痛みをがまんしながらの山歩きを想像するととても憂鬱になった。やり場のない気持ちというのはこういうことをいうのだろう

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翌日、僕らはエベレスト方面へと出発した。
ナムチェから出て1時間もしないうちにエベレストが見えてきた。1日1回でもエベレストを目にするだけでどこか安堵する。毎日、毎日エベレストを見られる幸せ。こんなこと、もしかしたら、一生のうちでこの1週間くらい間だけのことかもしれない。よーく味わっておこう。

ナムチェからタンボチェまでは標高差にして300mちょい。数字だけみると楽勝に思えるのだが、実は一度300m下の谷まで下りるので、そこから一気に600m登らなくてはいけない。しかも3500mを超える場所なので、高山病のことをケアしながらの登りとなる。
はぁはぁと息をきらして呼吸が浅くならないよう、僕は映子にゆっくり登るよう注意を促す。しかし、僕がよかれと思ってするアドバイスは悲しいことに映子にとってはよけいなお世話らしい

「あきちゃんのペースでゆっくり登っていたら肩が痛くてしんどいわ。自分のペースのほうがええわ」
映子は半ギレのまま、僕を置いてさっさと登っていってしまった
まあいいや、勝手にしやがれ、だ。
タンボチェに着き、霧であたりがホワイトアウト状態になってからは、僕らは宿のレストランでひたすら食べたり、花札に興じたりして、過ごした。そして山に入ってからはごく普通になってきた8時という早めの時間の就寝となった。ここまでは何も問題なかったのだが、やはり夜中ヤツはやってきた。昨晩2時間くらい戦いつづけた悪夢のような歯の痛みだ。ズキンズキン、歯が痛む。そして、やり場のない気持ちのまま、眠れぬ夜をすごしたのだった。(昭浩)

タンボチェへの急な登りもこの景色を見ながらだから楽しい、と書きたいところだが、けっこんしんどいだな、これが
タンボチェには大きなチベット密教ゴンパがある

12日目  タンボチェ〜ディンボチェ  11月8日

タンボチェ3860m→ディンボチェ4410m (所要6時間)

宿を出たのは、今日も一番だったと思う。歯を磨いていると手がかじかんで感覚がなくなるくらい寒い。洗面用の水も凍っていた。

誰もまだ歩いていない森の中を歩いていると、鹿がいた。ウサギみたいに小さくて黒い、そして白いひげみたいなのが生えている。ぴょーんぴょーんと飛んで走って逃げていった。しばらくその道を歩いていったけど、どうやら間違っていたらしい。途中まで引き返す。少し遅れをとったかも、でも早く出たから大丈夫。それに鹿も見れたのでラッキーだ。

ゆっくりゆっくり歩いた。下りも登りもそんなに急じゃない。かなりゆっくり歩いたので、そのうえしょっちゅう休憩したので、今日は疲れなかった。
座り心地のいい石を見つけてはそこに座り、山々を眺める。なんともぜいたく
今日見えてたのはアマダブラムとエベレスト、ローツェ、ヌプツェである。エベレストは途中から見えなくなった。他にも雪山が常に見えている状態、景色はずーっとよかった。

途中でカナダ人3人組に抜かれ、休憩したショマレの町で追いついたけどまた引き離された。そこで日本人の女の子に会った。彼女とはナムチェの宿で一緒だった。ちょっと調子悪そうだった。大丈夫かな。
ディンボチェに着いてからも、腹ごしらえをしてから再び歩いた。ストゥーパが立っている丘の上まで30分くらい登った。雲が出てきていた。でもまだ太陽も健在。いつのまにか雲がどこかに行ってしまって、今日は夕焼けがとてもきれいだった。(映子)

タンボチェより朝日を浴びるエベレストを見て、山の一日がはじまる。素晴らしい朝の景色は一生の財産となるはず
アマダブラムはすぐ目の前!迫力あるヒマラヤのなか、ちっぽけな僕たち。そんな僕たちのちっぽけな一歩でさらなる高みへと目指す

今日、いよいよ4000mを越える。このあたりから真剣に体を高度にならしておかなければならない。僕たちは5分に1回くらいの割合で路傍の石に腰をかけ、そこで深呼吸したり、山をながめたりしている。

今日はアマダブラムという先の少し尖った名峰の脇をすりぬけるコース。見上げるといつもアマダブラム、なのである。エベレストは途中からヌプツェの陰にはいってしまい見えなくなった。そのかわりローツェが大きくたちはだかってくる。

はじめ5分に1回くらいだった休憩は、だんだんと座りやすそうな石をみつけたら即休憩というふうになっていった。とてつもなく堕落している
日本だったら、
「おいおい君たちそんなに休んでばっかりだといけないよ」
と山歩き慣れた中高年のおじさんおばさんに注意されそうだ。

でも、それでいいのだ。酸素・・・僕らには酸素が必要なのだ
標高4000mの空気は東京の空気の60%の濃度しかない。だからがんばって登って、はぁはぁなんてしてちゃいけないのだ。本当に休み休みいっていたのでそれほど疲れなかったし、しかもまわりは世界の屋根ヒマラヤ、そんな山歩きが楽しくないわけがない。

ディンボチェに着いて、そこの宿からみた夕暮れにオレンジからピンクに染まるロブチェ。楽しく充実した1日が美しく終わっていった。(昭浩)

夕暮れピンク色に染まるロブチェ。Beautiful Day!

13日目  ディンボチェ ステイ  11月9日

今日はチュクンまで歩いた。天気がよくて、風もなく、急な登りもなくていい感じの歩きだった。小さな川はことごとく凍っていた。大きな川も川岸近くは凍っている。標高が高くなったのでやっぱり寒いと感じる。でも今日の歩きは全然苦痛じゃなかった。
ところが、あきちゃんは、昨夜寒かったせいで風邪を引いたのか、はたまた高山病か、体調不良を訴え始めた。昨夜調子が悪くて起きてしまって、ダイアモックスを飲んだらしい。
私はかなり絶好調なのに、チュクンのロッジで昼食を食べて、花札でもしてくつろぐか・・・という時に頭が痛い、不調だから下りようということになった。

アマダブラムとチュクンの氷河の写真を撮って、一路ディンボチェへ戻る。あきちゃんは頭が痛いから早く戻りたいらしく、ものすごい勢いで歩いていく。行きは3時間くらいかかったのに、帰りは1時間半くらいで帰ってきてしまった。
しかしそれが逆にいけなかったのか、あきちゃんは相変わらず不調だ。だんだんひどくなってきているようにすら見える。

さらに私たちの宿に日本人の団体が来て、ガイドさんにチャンというお酒をごちそうになった。それで酔っ払ってしまったのがいけなかったのか、二人とも食欲はない。体があったまったのでよかったと思ったんだけど、本当はこんなに標高が高いところでお酒を飲むのは高山病の素なのだ。
食欲が出ないまま夕飯の時間を迎えた。ガイドさんが炊き込みご飯をくれたのですごくうれしかったんだけど、すでに注文してあったダルバートのご飯を少し残してしまった。(映子)

黒地に白で真言が書かれたマニ石。カタと呼ばれる布が巻かれている。旅の安全を願ったものだろう
すごいきれいな白銀の稜線、チュクン氷河。でも、僕はこの日体調が悪く、あまりこのあたりの景色を覚えていない。もったいないことだ
 

寒い。歯が痛い。のども痛い。なんか息苦しい。目が覚めたらそんな状態だった。さらに尿意をもよおしてきた。一度トイレにいってから、また寝袋にはいった。しかし1時間ほどしてまた目が覚める。相変わらず歯が痛い、今度は頭も痛い。鼻も出てきた。高山病か?それとも風邪か?どうも両方らしい。

昨日、水を4リットル飲み、おしっこに20回もいった。すべて高山病予防のためだ。
そんな努力もむなしく高山病になってしまった。水もたいして飲んでいない映子が隣ですやすや気持ちよさそうに眠っているのがうらめしい。しかたないので、ダイアモックスを飲むことにした。すると不思議なくらいすーっと頭痛がなくなり、なぜか歯痛も消えていった。おかげでそれから朝までよく眠れた。

朝になり、予定どおりチュクンというところまで日帰りのハイキングに出かけた。これはアクラマタイゼイションといって、高度順応のための山登りだ。4800mのチュクンまで登り、そこにしばらくいて高度を体に慣らして、それからゆっくり帰る、というのが僕らのもくろみだった。しかし、風邪が悪化しているのか、だんだん調子が悪くなってきたので、すぐに戻ることになった。。

宿に戻って、暖かい紅茶を飲み、水をがぶがぶ飲んでいると少しずつ調子がもどってきた。そんな時、映子がトイレに行こうとする僕を呼びとめて言った。
「あきちゃん、ガイドの松本さんがチャイ(紅茶)ごちそうしてくれるって」
松本さんというのは日本人トレッキングツアーを引率しているガイドさんで、今日日本人団体と一緒に僕らと同じ宿に来たきたのだった。

ラッキー
僕たちはそう小さくつぶやきながら、キッチンのストーブのまわりにいるネパール人のガイドやポーターのひとたちといっしょに火を囲んだ。不思議なことにポットから注がれるチャイ(紅茶)はなぜか白い。おもしろい色の紅茶だな、と思った。そしてなぜか乾杯した

飲むとそれはどぶろくのような味がした。酒じゃんこれ。チャイではなくてチャンと呼ばれる地酒だ。
酒は高所では禁断である。チャイとチャンを聞き間違えた映子を責めたい気分だった。高山病が心配だが、喜んで招待されていって、断りにくい状況だったので、飲んでしまった。味はうまい。
お客さんには(高山病になるから)酒を飲むな、と言っている手前、お客さんの前ではお酒飲めないし、赤い顔もできないんですよね」
高山病の心配をよそについぐいぐい飲んで真っ赤になってしまった僕らに松本さんは言った。当の松本さんは年に何度も高所に仕事で来ているから慣れているからいいとして、そうでない僕らは飲んじゃって大丈夫なのだろうか?もちろんいいはずはなく、僕らは明らかに調子をくずしはじめた。
テーマは健康、その言葉がガラガラとくずれていった瞬間だった
チャイとチャン、字はひとつしか変わらないがその違いは大きい。 (昭浩)

14日目  ディンボチェ〜トゥクラ  11月10日

ディンボチェ4410m→トゥクラ4620m (所要3時間)

昨夜、初めて頭が痛くなって、ダイアモックスを飲んだ。夜は4回トイレに行って、最初の2回まではまだ頭が痛かった。3回目からは大丈夫だった。朝もまた食欲が戻ってきたので、しっかり食べれた。
ところがスタートが大きく遅れてしまった。あきちゃんがカギを失くしてしまったのだ。部屋のカギはいつも自分たちで持ってきた南京錠を使っているんだけど、開けたときに南京錠ごとカギをどこかに置いて失くしてしまったのだ。カギは見つからないまま、二人ケンカしたままのスタートとなった。
だいたい宿の人たちに迷惑をかけて、私を散々またしておいて、「予定通りのスタートだ」なんて言ってるあきちゃんはおかしい。ストゥーパのある丘の上に登る頃には二人仲直りしたけれど。

今日も朝から天気がよく、丘までの登りをクリアーすれば後はなだらか。ヤクたちも時々来るけど道がたくさんあるので簡単によけられる。私たちは休み休みめちゃめちゃゆっくり歩いて、それでも3時間ちょっとで到着した。
先日出会った日本人のおじさん2人と、一昨日出会った日本人の女の子に会った。彼女はガイドが最悪な上に体調も悪くて大変だったみたい。でも日本人のおじさん2人についているネパール人の日本語話せるサーダー、ティカさんに救われたようだ。ティカさんは私たちにもとても親切で、「一緒に行きましょう」と言ってくれた。「質問があれば何でも聞いてください」と。(映子)

ストゥーパと青空と雪のヒマラヤ。白と青のコントラスト。まぶしすぎる風景。感動的なものはいつも僕らのまわりにある
歩いている一歩一歩が充実であり、出遭うひとつひとつがいとおしい。一瞬一瞬が幸せ
トゥクラからの眺め。雲が急に切れて、あっという間に現れたこの景色たち。素晴らしい自然のショーのようだった
 

昨夜は映子も頭が痛いと言いだし、結局ダイアモックスのお世話になることになった。要するに軽い高山病になったってことだ。僕のほうはだいぶ高度に順応してきたみたいではあるが、どのくらい順応しているのかは不明だ。そこで、朝、ガイドの松本さんが持っていた血中酸素濃度測定器というもので僕たちの血中酸素濃度を測定してみることにした。
結果は、僕が86%で映子が89%
この数字は低地での酸素濃度を100%としたときの今現在の酸素濃度をあらわす。数字が高いほど酸素がたくさん血液に含まれているということだ。80%以上ならOK、90%以上なら完璧とガイドの松本さんが言っていたから、数字としては悪くない。数値からは二人とも高度順応していると言える。それはいい。ただ、ゲせないのは、映子よりも僕のほうが数値が低いということだ

今日行くトゥクラまでの行程はガイドブックによるとたったの2時間でいけるコース。そこを3時間半かけて僕らは登った。美しい山が近くに見えるという環境が当たり前のようになっているが、いくら見慣れたとはいえヒマラヤの景色は美しい。素晴らしいきれいな山々を間近に迫るロケーションのなか、気持ちよくゆっくりゆっくり堕落した山歩きを楽しんだ。

トゥクラで昼ごはんを食べるともうやることがなく、温泉にでも入って、ビール飲んで、昼寝して、夜ご飯を待つばかり・・・となれば本当に極楽なのだろうけど、ここには温泉はない。高所なのでビールも昼寝も控えなきゃいけない。それにアクラマタイゼイションという仕事が残っている。高度順応登山のことだ。
急坂がずっと上まで続いているのが宿から見える。そこを登るって同じ道を下りるのだ。明日登る坂道をなんで今登らなきゃいかんのよ、と思う。「いやや」と映子はダダをこねていたが、結局しぶしぶついてきた。高所では水をたくさん飲めだの、アクラマタイゼイションしろだの、いろいろめんどうなことが多い。

アクラマタイゼイションを終え、夕方、僕らは乾いたヤクのウンチを燃料とするストーブのまわりに腰掛け、暖をとっていた。ちょうどそこに血中酸素濃度測定器をもっていたネパール人ガイドがいたので、僕たちはまた今の血中酸素濃度を測らせてもらうことにした。
映子が87%。2%下がったが、300m標高が上がったのでまあまあよく順応しているといえる。僕はなんと92%!高度があがっているのにもかかわらず、血中酸素濃度は増えている。驚くべき数字だ。高度順応は完璧。映子は出た結果になんか不服そうだ。

明日はロブチェ。今回のトレッキングで宿泊する場所としては最も高いところとなる。ここで無事一夜を過ごすことができれば、高度順応に関しては、もうその後心配することはない。いよいよトレッキングも佳境に入ってきたのだった。(昭浩)

15日目  トゥクラ〜ロブチェ  11月11日

トゥクラ4620m→ロブチェ4910m (3時間)

相変わらずダイアモックスを朝夕飲んでいるせいか、調子がよく、頭痛も全然ない。ただ便秘である。もう3日も出ていない。おしっことガスはよく出るのに。
今日の歩きは最初がちょっと急な登り、でも昨日高度順応のためにこの丘の上まで歩いて、だいたいどんなもんか分かっているので楽だ。例によってゆっくりゆっくり、座り心地のよさそうな石を見つけては座って休みながら行ったので、日本人のおじさんたちにも女の子にも抜かされた。

メモリアルがたくさんある峠の上で一度は追いついて、ティカさんが説明をしてくれた。そこからはなだらかな道だったけど、私たちはゆっくりゆっくり歩いた。
川は凍っていた。昨日トゥクラの手前の川も凍っていたけど、今日のほうが激しく凍っている気がした。そして表面が凍っているその下ではちゃんと川は流れているのだ。
川沿いを歩いて、川を渡ってからさらに歩いて、まもなくロブチェに到着。ティカさんたちもすでに着いていて、同じ宿に行こうと思っていたのに、部屋がなくて断念。代わりに見つけた部屋はめちゃ高いけど、日当たりよくて暖かく、ゴキゲンな部屋だった。

昼から高度順応のために丘に上がった。丘といっても結構急でかなり登る。冷たい風は吹いてくるし、もう途中で帰ろうかと思ったけどがんばった。2人のおじさんたちも一緒で、彼らは登りも下りも速かった。女の子は下りで遅れていたけれど、あまりに寒かったので、私たちは先に宿に戻った。(映子)

トゥクラからの急坂を登りきるとそこには、ヒマラヤで亡くなったシェルパたちの墓標がたくさんたっていた。美しい山に囲まれた場所で、そこにはタルチョがはためいていた
高度は4500mを超え、岩と雪だけの世界となる
一番奥の山の向こうはチベット。ヒマラヤの奥にかなり近づいた。あともう少しだ
 

トゥクラの宿の目の前から始まる急な坂を登っているときカナダ人3人組とすれ違った。彼らとはタイからネパールへいく飛行機がいっしょで、ジリから同じ日にスタートしたため、毎日のように顔をあわせていた。一昨日も彼らは僕らと同じ宿に泊っていたのだが、彼らはそこからロブチェまで一気に登っていた。僕らはロブチェまでのだいたい半分の地点であるトゥクラに泊まったので、彼らとは一日遅れをとることになる。しかし、この一日が大きかった。

3人のうちの一人が高山病で調子が悪いので山を下りる、と彼らは言っていた。ジリからはじまって15日ずっと歩いてここでリタイアというのはなんかもったいない気がするが、調子が悪いのなら下りるしかない。1度下りてまた登るという作戦もあるが、そこまでの気力はないらしく、そのままカトマンズに戻るようだ。
がんばった彼らがリタイアで、かんばらずチンタラ歩いてきた僕らがいまだに元気にトレッキングを続けているというは、なんだか人生の皮肉のようだなと感じた

カナダ人3人組と別れてさらに登ると、今度はシェルパの若者が仲間に担がれて山を下りていた。口から泡を吹いていたから、かなり重度の高山病である。シェルパというのはトレッカーの荷物を運ぶシェルパ族のことで、そんなヒマラヤのプロですら高山病になってしまうのだから、いくら本格登山ではないトレッキングといえどもあなどれない。

ここでは毎日のように救助ヘリの音が山の間にこだましている。毎日だれかが高山病のためにヘリで運ばれているってことだ。ここまで慎重に登ってきたおかげで今のところ僕も映子も高度にはきちんと順応しているが、油断できない。
実は今日こそがもっとも大事にいかなきゃいけない日かもしれない。特に今晩がヤマだ。僕らは一生懸命水をたくさん飲み、アクラマタイゼイションをし、夜ごはんは控えめにして、明日に備えた。明日はいよいよ目的地であるカラパタールである。(昭浩)

16日目  ロブチェ←→カラパタール  11月12日 ? ロブチェ4910m→カラパタール5550m→ロブチェ4910m

朝4時に起きた。もちろん暗い。私たちはヘッドライトをつけてゴソゴソとティカさんたちの後について歩く。まるで仕事人か何かみたいだ。暗くて道がよく分からないので、前の人に遅れまいと必死でついていく。しかも朝から何も食べていなかったので、チョコバーをかじりながら。
しかし道はわりと平坦で歩きやすい。登りもゆるやかで十分ついていけるスピードだ。ティカさんがゆっくり歩いてくれてるのかな。暗い中で一度休憩。星がきれい。北斗七星とオリオン座が見えた。私たちは北斗七星に向かって歩いていた

だんだんと明るくなってきて、周りの風景、山々も見えてきた。登りはそのあたりから増えてきた気がする。後ろの女の子が遅れ気味。彼女のガイドは今日起きてすらこなかったのだ。でも1人の方が気が楽だからというので、そっとしておくことにした。確かに遅れてはいるけれど、着実に一歩一歩進んでいるようだし。
私たちはそのままおじさんたちとティカさんにとにかくついていくことにした。おかげでゴラクシェプまで3時間かからなかった。そこで私たちは小休憩して、お茶を飲み、持ってきたクッキーを食べた。チョコバーだけではとてもお腹が空いていたので、休憩できてよかった。女の子は無事追いついてきて、しばらく一緒に座って話した後、私たちは先にカラパタールへと向かった。

わりと急な坂がずっと続くのでつらかった。息も上がってハアハアいってた。ちょっと歩くだけなのに、マラソンの時みたいに息が荒い。でも私はマラソンがわりと得意なのでその特技を生かして、マラソンのつもりで息を整えつつ歩いた。立ち止まると逆にペースが乱れるので、なるべく休まず歩く。

アンナプルナのトレッキングのときはどうやっても自分のペースで呼吸したり、歩いたりすることができなかった。今回は健康管理もバッチリ、体調も万全で、楽しんで歩けたと思う。それがとてもよかったと思う。
一番の大きな違いは、ただ連れてこられたというのではなく、自分の意志でここまで来たということだと思う。それからアルパインツアーのガイドさんや、ティカさんに会えたことがとてもラッキーだったと思う。ツアーに参加しているわけでもなく、ガイド代を払っているわけでもない私たちに、二人ともとても親切にしてくれた。そんな人たちがいなければ、私たち二人がここまで来れたかどうか分からない。

夜、ティカさんのところへお礼を言いに行った。うすーいコーヒーをご馳走になりながら、ティカさんは明日からのアドバイスをしてくれた。本当にいい人である。
アルパインツアーの人たちにもお別れを言いたかったけど、食堂が分からず。明日出発前に行ってみよう。(映子)

カラパタールの丘へとつづく道。正面にはプモリが大きくたちはだかっていた
カラパタールから見たエベレスト。これでケリがついた。ようやくこれで旅も終われる

旅に出る前、僕は仕事上責任ある立場にいた。
それだけじゃない、仕事は適度に忙しくそして楽しかった。幸福なことに、いいお客さんや仕事仲間に恵まれていた。仕事でもプライベートでもこれ以上ないといえるくらい文句のない状況だったと思う。自分から見ても、他人から見ても、僕はとても人生を謳歌しているように見えただろう。

でも、やりたいこと―世界一周の旅―をしなければ、多分僕は死ぬ間際になって、とても後悔するだろうと思った。何故しなかったのだ、するチャンスはいっぱいあったのに・・・と。
死ぬ間際のじじいの僕は、やりたいこと―それは夢という言葉に置き換えてもいい―に向かって一歩も踏み出せなかった自分を呪うにちがいない
世界一周できるとかできないとかそういう次元の話ではなく、世界一周に向けて自分が一歩踏み出したのかどうか、何かしらアクションを起したかどうか、それが僕のなかではとても重要なことであると思った。

そして、気の小さい僕はビビリながらその一歩を踏み出した。

僕にとってクリアにしなきゃいけなかったことはたくさんあったが、「行きたい」という情熱をまわりにぶつけてみる、といった小さなアクションがやがて大きな流れとなり、はじめは絶対無理かもと思えた世界一周が徐々に現実実を帯びていった。結局2001年10月12日、僕たちは海を渡った。

その旅のなかで最も自分がしたかったことは、エベレストの麓にいってエベレストを見たることだった
マイアミから一度日本に帰った段階で世界一周は完成している。でもエベレストが残っていた。だからもう一度日本を出た。
カラパタール、そこは厳密にいえばエベレストの麓とは呼べないかもしれないが、それでも僕らにとってはエベレストに一番近い場所であり、麓であった。そして、今日、僕らはその丘に登りエベレストを見上げた。手前には南壁のイエローバンドがあり、その向こう側の稜線はサウルコルへと落ち、そのままローツェへと続いている。

ケリがついたなと思った。これで自分の夢にも、自分たちの旅にもケリがついたなと思った。

すっげぇ楽しい3年間だった。   

世界一周の旅に対して抱いた情熱、もう一度そんな熱い気持ちになれる何かを自分の中に探していきたい。
そして、帰国したら、次の新しい夢に向かって、あたらしい一歩をふみだしたいと思う。これからも夢を追い続ける情熱をもちつづけたいと思う。 (昭浩)

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