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グアテマラ旅行記1 ティカル・アンティグア編

1月13日〜1月31日

雨の国境越え  1月13日

朝6時、雨が激しく降っている。まさかこんな日に山本夫婦は出発しないだろうとひろこさんと話しつつ、一応お別れを言って、私たちは再び寝てしまった。7時過ぎにあきちゃんが起きて、いいかげん見に行ってくるわ、と雨の中出かける。私はどうしても起きれず、ベッドの中でまだぐずぐずしていると、あきちゃんは走って帰ってきた。
「すぐ出発だ!」

パッキングも全部はできていなかったので、はっきり言ってあせった。でもなぜか間に合うという確信はあった。ベリーズシティ行きのボートのチケット売りのお姉ちゃんに、
「7時半発はもう出たよ。」と言われたが、まだだった。カズさんとやすこさんが待たせてくれていたのだ。ふたりは、「川さんたちは全身カッパの装備もバッチリだからどんな雨でも出発するだろう」と思っていたらしい。

そのとき雨はほとんどやんでいたのに、ボートに乗るときにまた降りだして、ボートが動いている間中ずーっと降っていた。そしてボートに屋根はなく、雨よけのビニールシートは私の荷物を覆うのに精一杯だ。全身カッパの私もさすがにぬれてきた。途中でパンツがじわりとぬれてくるのがわかった。不快指数100%。そしてパンツがすっかりぬれたところで、ベリーズシティに着いた。相変わらず雨はザーザーぶり。

グアテマラとの国境に向かう9時半発のバスは少し遅れて出発した。
国境を越えたのは12時ごろ。しかしベリーズの出国税の高さにはビビッた。しかもここは到底逃れられないところだった。そのうえ37.5ベリーズドルという半端な額、どうしてもおつりにくるベリーズドルがあまってしまう。いやーな感じ。

グアテマラ入国は簡単だった。荷物のチェックもまったくなし。こんなんでいいのか、グアテマラ!
グアテマラに入ったとたんに道は悪くなった。ガタガタの未舗装道路。さらに雨でぐちょぐちょ。バスはゆっくり走っていた。途中でトラックが滑って道の反対車線側につっこんで停まっているところがあった。それからしばらくとろとろ走った後、舗装道路が現れて、運転手のおっちゃんは調子づいたのか、音楽をかけ始めた。(映子)

ティカル 1月15日

ティカルはよかった。世界にはいろんな遺跡があるけど、これまで見た遺跡のなかでも特別よかったということだ。
何がよかったか?それはティカルのピラミッドの上から見た眺望、それにつきる。見下ろす視界360°果てしなく続く深いジャングルの海。そのなかから顔をだすピラミッド。誰もがその素晴らしい景色に魂を奪われ、ただひたすら眺め続けてしまう。

ティカルはジャングルに埋もれるように広範囲に広がっている遺跡である。森の中を歩いていると突然ピラミッドが現れたり、山かなあと思っていた小山が実は植物に覆われたピラミッドだったりする。

ピラミッドはいくつかあるが、そのなかでも上まで登って見下ろせるポイントは4号神殿と5号神殿と呼ばれるピラミッドである。
4号神殿は一般的で5号神殿はアブノーマルである。アブノーマルというのは、5号神殿は登る階段があまりにも急なのである。僕がアメリカ人だったら「オーマイゴッド」を20回は連呼するであろう。
階段というよりほぼ垂直の梯子なのだ。この梯子のような階段は登るためにとりつけたもので、ピラミッドのオリジナルの階段は崩れていてとても登れたもんじゃない。仮にもし登れるくらいきれいに修復されたとしても無理。常人には急すぎて不可能だ。

梯子階段を使って5号神殿のトップを目指す。しかし、途中で登り始めたことを後悔した。
マジで恐い。無茶苦茶恐い。その階段が急すぎるのもあるがそれだけじゃない。ある程度登るとジャングルの上に抜ける。一気に視界が広がると震撼がとまらないほどの高度感が襲ってくるのだ。
ピラミッドの上についてしばらくしても胸の鼓動は早く、足はガクガクと震えがとまらなかった。
ここから見下ろすジャングルとティカルのピラミッドの眺めも最高で、神秘的なティカルの美しさがあった。

僕は昔テレビ番組で見たティカルの映像を思い出した。
ジャングルのなかから浮かぶマヤ遺跡の映像を見たとき、こんなところ行けたらなんて素敵だろうと思った自分を思い出した。
その場所に今自分はいる。すばらしいことだと思う。人は行きたいなあと思う場所にはいつかたどりつけるのだと思った。

その日、僕たちは6時間近くティカル遺跡を歩き回った。(昭浩)

ジャングルの海から頭を出すティカルのピラミッド。この景色だけでも見る価値あり。1時間以上眺めていても飽きない景色
5号神殿の恐怖の階段。これを登るとさらに恐ろしくなる
マヤのピラミッドは独特の形をしている
ここではどんな儀式がおこなわれていたのだろう?

リオ・ドゥルセの川下り 1月16日

山本夫婦とひろこさんと私たちの5人で朝9時半発のバスに乗った。
このバスはグアテマラシティ行きだけど、私たちはリオ・ドゥルセというところで降りる。リオ・ドゥルセ、それはスペイン語で「甘い川」という意味で、その町の名前であり、そこに流れている川の名前でもある。そしてそこから船でその川を下ることができる。

リオ・ドゥルセには1時ごろに着いた。
チャーターできる船がないか、探してみたけれど、ガイドブックに書いてあるように船頭が声をかけてきたりはしやしない。
仕方がないのでコレクティーボと呼ばれる遊覧船で行くことにした。

アフリカのマラウイで、ボートサファリをしたことを思い出した。
大自然の中を船で行くのはいいもんだ。いろんな鳥たちを見ながら行くのも楽しい。自然がとても近くに感じられる
ただ、ボートはモーター音を響かせてビュンビュン走っていくので、もう少しゆっくりのんびりそして静かに行きたい気もしないでもないが。

まず、サンフェリペの要塞を見てから、ボートはくるっと向きを変えた。
それからしばらくは、モーター音を響かせて走っていたが、鳥の島でスピードを少し落として行ってくれた。
さらにハスがきれいに咲いているところへ。
今まで幅の広かった川が底から少し狭くなって、切り立ったがけの間をぬうようにいった。その辺りはとてもいい感じだった。
一緒に乗ってきた欧米人の男2人は、その辺りにある穴場っぽい宿で降りた。私たちはリビングストンまで。
しばらく行くと急に視界が開けて、海が広がった。それがリビングストンだった。(映子)

蓮の花咲くリオドゥルセ
川岸が迫ってくるのもいい
大きな開けた川に出た時はちょっと感動

リビングストンからアンティグアへ 1月17日

土地というものにはそこ特有の空気やニオイなんかがあって、それはその場所に着いた瞬間に町並みから感じられたり、そこで暮らす人々の肌の色や声やそのトーンから見つけられたり、食べたごはんのなかにそういったものが発見されることもある。
土地のカラーとでも呼ぶのだろうか。
そんな時、ここに来てよかった、とか、ここはいいところだなあ、なんて感じてしまう。
リビングストンではその土地のカラーを強く感じた

リビングストンの町は、ジャングルと川とカリブ海によって囲まれている。
他の町とこの町とをつなぐ道路はない。ジャングルと川と海によって隔絶されているため、リビングストンの色は交流によって薄まることなく色濃く残されている。

ドゥルセ川の港からはじまり、直線的に走り、丘を越え、カリブ海で終る、1kmにも満たない町のメインストリート。
エビ、ワタリガニ・小魚のあがる小さな港。
パイナップルとオレンジの並ぶ商店。
魚とバナナをココナッツミルクで煮込んだスープを出すレストラン。
ココナッツのはいったパンを売る小さなベーカリー。
路傍で眠る豚、忙しそうに闊歩する鶏、川辺の屋根にとまっているペリカン。
とうもろこしのネリモノを大きな洗面器のなかにいれて売っていた太った褐色の肌のおばちゃん。
ラリったガンジャの売人。
そういったものが、深い緑と少しにごった川と海に包まれ、レゲエのリズムの流れるなかにあって、潮の香りにさらされていた。

観光するべきものは何もない。
しかし、ここには独特の雰囲気がある。空気に独自の色彩をもっている。
そういうのを感じる旅というのもいいものだ。(昭浩)

リビングストンの港の朝
小さな漁船がたくさん浮かぶ
メインストリートは人影もまばら

アンティグアへの道  1月17日

朝9時ごろリビングストンの港から、ランチャと呼ばれるボートに乗ってプエルトバリオスへ。30分くらいで到着し、そこから暑い中を歩いてバスターミナルへ行った。
汗だくになった。が、汗拭きミニタオルをボートの中に忘れてきたらしい。あーあ。
10時発グアテマラシティ行きのバスは目の前で行っちゃうし、あーあ。
すぐ10時半のバスに乗れたけど、皮のシートはあんまり好きじゃないし、えぐい映画ばかりやるのにはうんざりした。しかも冷房ガンガン効きすぎのバスだった。

グアテマラに入ってすぐ、あの雨の日にも車窓の風景を見ながら思った。
サンクリストバルの笠置さんが、
グアテマラは季節を問わず、いつもきれいな花が咲き乱れている。」と言っていたなあ、と。
その通り、あの日も、そして今日もブーゲンビリアをはじめ、名前のよく分からない花々が、色とりどりに咲いていた。オレンジ、黄色、ピンク、赤。深い森の緑の中にその色は鮮やかに映えていた。

グアテマラシティに着くと、アンティグア行きのバスターミナルまで少し歩いた。
道にはたくさんの屋台が出ていて、おいしそうなものがあふれていた。
5人で歩いていたので怖くはなかったけれど、ここは実はとても治安の悪い都市なのだ。

アンティグア行きのバスは荷物をバスの上に積んでいるときに動き出した。みんなあわてて飛び乗る。
いかにもローカルという感じでガタガタ揺れながら、バスは走った。1時間くらいで到着。
日本人宿に行くと、昨年のお正月をエジプトで一緒に過ごしたトシさんと再会した。(映子)

コロニコ前夜 1月18日

すごくではないが、ちょっとだけ緊張している。
内容はなんとなくわかる。
でもどんな場所でどんな格好でどのようにしてやるのか、そのディティールはまったく想像つかない。

痛いのはイヤだ。気持ち悪いのもイヤ。汚いのも勘弁してもらいたい。
明日、一体どうなるんだ?(昭浩)

コロニコ(腸内洗浄)本番 1月19日

 

そこは緑色の壁の家だった。その平屋の小さな入り口を入ると中は薬局のような店内だった。薬やら自然食品、またはナゾの怪しげなピンクや白の箱や漢方の生薬なのか乾燥した植物が何十種類とガラスケースに並んでいた。

ヒマそうな無表情な店員は僕たちに何をしたいのか尋ねてきた。
「コ、コロニコ」
緊張しながらこたえる。

20分ほど待たされた後、一番奥の部屋に通された。部屋は日本の普通の家のバスルームをふたつあわせたくらいの広さで白いタイルばりの細長い部屋だった。
「脱げ」
無表情な若い係員が事務的に指示する。
ぜ、ぜんぶ脱ぐの?
「すべて脱ぐんだ。」
場の雰囲気にのまれて気持ちもナニもすっかりちぢみあがってしまった。

病院の廊下においてあるような長いすの上に服を置いて、病院にある診察台のようなベッドに素っ裸で仰向けになる。
このベッド特別仕様になっていて、ちょうどお尻のところがバスケットボールサイズの穴になっている。そこが便器だ。穴便器の両脇にはひざを曲げておけるように、くの字型に盛り上がっていた。

僕は仰向けになっていて、足を曲げそして広げている。お産のときのような格好をしている。しかも裸だ。
すべて、ナニからナニまで、お尻の穴までも、隣で立っている係りの兄ちゃんにさらけ出している大変無防備な状態にあるのだ。
しかし、お兄ちゃんは僕の尻の穴にはまったくの無関心で、そのかわり白いプラスチックの棒にワセリンらしきものを塗ることに集中していた。その白い棒にはホースが取り付けられていて、そのホースの先はどこかの蛇口につながっているハズであった。

係員は一瞬僕のほうをみてから、その白い棒を僕のお尻の穴に突っ込んだ。
異物が挿入される。気味の悪い痛みが走る。
そして係員は棒をグリグリ回し始めた。
(な、なんてことを・・・ううっ)
係員はさらに奥へと突っ込む。

棒が奥のほうに入ると少し痛みが柔らかくなった。と同時にボコッボコッと自分のお腹から音が聞こえてきた。少しずつお腹が張っていき、膨らんできた。水が入ってきている。どうしていいのかわからなかったがどうにも耐えられなくなってきた。
出していい?
情けない表情で係員にたずねる。
マスクをした係員は僕の肛門を見つめたまま無表情にうなずいた。

ブハーッ、ブハーッ、ブハーッ
自分でもびっくりするくらい勢いよくウンコ水が放出した。それは消防車の消化ホースから出る水のごとく激しいものだった。

その激しいゴールデンシャワーは入るべき穴にすんなり入るような行儀のいいやつではなく、穴の壁に跳ね返り、横になっている僕のお尻のまわりやら、お腹の上にまで飛んできた。
しぶきが散っては体の上に飛んできて、そのたびにうろたえたが、そういった状況が続くうちにだんだん慣れてきた。ウンコくらいなんでぇ、と開き直り諦観する自分がいた。
この激しい噴射こそ自分が「洗われている」ことの証。もっともっと噴射してやる。

水を腸内に入れる白い棒は噴射の際はどうなっているのか?
それは多くの人から後で受けた質問だ。
棒は入ったままである。棒が入ったまま、しかもその棒は係員がずっと持っている、そんな状態でどうやって噴射するのだ、となかなかその答えに納得しない人も多いのだが、入ったまま出していることは事実で、実際そこの部分がどういうメカニズムになっているのかは、当人ですら見ることはできないのだからこたえようがない。
とにかく、水が腸内に入っては噴射、それをただ繰り返す。

はじめのうちはとても前向きにがんばって噴射を繰り返していたのだが、30分くらい過ぎたあたりからだんだんと疲れてきた。ただ出すだけなんだけどけっこう消耗する。
腸にたまったり、へばりつりたりしたウンコと一緒に、ムシやバイキンといったもの、それだけでなく腹にたまった気やエネルギーといったものまで、良いもの悪いものすべて出しているそんな気分であった。

前触れもなく係りの兄ちゃんは棒を抜いた。
そして情事の後の冷淡な情夫のようにトイレットペーパーをぐったりとしている僕に渡した。
あとは自分で勝手に体を拭いて帰っていいということらしい。
汚れた体を拭いて、そのまま服を着、グラシアスと小さくつぶやくように係員にいってから、その部屋を僕は出た。
係員は無言であった。

部屋を出ると大変な虚脱感が襲ってきた。
ソファに身をあずけボーゼンとする。目は焦点が合わず、床の一点を見つめている。
その姿は他人から見たらどのように映っていただろうか。
最終回でホセ・メンドーサと闘いまっ白に燃え尽きた明日のジョーのように、と思いたいところだが、ボクシングではなくてコロニコで燃え尽きて廃人みたいになってしまった僕はいったい何なのだろう。
動く気力もなく、考える気力もなくただただボーゼンとしていた

僕はこう思った。ウンコに宿る神様というのがいて、それはずっと僕の中、厳密にいうと僕の中に宿っていたウンコの中にいて、僕にパワーを与えていた。
その神様も一緒に出てしまい、僕は今抜け殻のようになっているんじゃないかと。

喪失感と虚脱感、疲れ、空しさ、消耗・・・いろんな感情がわきあがる。「これは体のために良いことなのだ。」その信念だけが支えだ。でも本当に良かったのだろうか。

コロニコの終ったあとの午後は、お腹が軽くはなったものの食欲はなく、ひたすら水を飲んだ。
水を飲む。するとすぐにトイレに行きたくなるのでトイレに行く。そしてまた水を飲む。これを繰り返す。
腸内がきれいになったせいか水の吸収がやたらいいみたい。いくらでも水が飲める。おしっこも何回もしているうちに透明になってくる。体が水で浄化されている感じがする。
いいなあ、この感じ。気分もよくなってきた。ハイだ。胃腸が軽くなると気分も軽くなるんだな。

コロニコ1回95ケツァール(1425円)、お尻に入れる白い棒は買い取りでその分の代金もこれに含まれている。日本だともっと高いと聞く。
話のネタにはなるが、健康にいいのかどうかは微妙だ。
便秘で困っている人にはいいんじゃないだろうか。(昭浩)

アンティグアで歯医者に行く 1月19日


僕は歯のことで深刻な悩みを抱えていた

ベリーズからグアテマラに入った日、キャラメルを食べた時に左奥歯にかぶせてあった銀がとれてしまったのだ。
これは困った。すぐにハメ直しても、何かを食べるときにすぐにまたとれてしまう。間違って銀まで一緒に食べてしまいそうになる。
外したままにしておくということも考えたが、銀をはずした後の左奥歯はとてもかぼそく、まちがって左奥歯で少しでも硬いものを噛んでしまうとポキッと簡単に折れてしまいそうなのだ。
右奥歯だけで咀嚼しても食べ物はおいしくないし、そんなこと長い間くりかえしていたら顔のカタチがかわってしまいそうだ。

日本だったら歯医者にいってチョンチョンと治せてしまうことでも海外の歯医者ではそうはいかない。
歯医者で信用ある国は日本とドイツ。タイ・バンコクのジェネラルホスピタルの歯医者もいいと聞くが、どちらにしてもグアテマラからは絶望的な遠さだ。

事態は深刻だ。アロンアルファでくっつけちまおうかと真剣に考えた。
でも、失敗したら取り返しのつかないことになるんじゃないか。アロンアルファで間違って違う場所、例えば唇と唇とかがくっついたりしたらシャレにもならない。

しかし、救いの神はいた。
何気なく宿においてある情報ノートをめくっていると、あるじゃないですか!歯医者情報が!
普通情報ノートなんかに歯医者情報というのは書かれていない。これまでの旅のなかで見たのはこれがはじめて。なんてラッキーなんだ。

僕は迷わずその歯医者に行った。
日本の歯医者でもよくあるリクライニングできて口のなかを照らすライトやうがいする小さなシンクもついた歯医者椅子がふたつ並ぶ歯医者だった。
太った50歳くらいのおばちゃんの先生は上手ではないが英語が話せる。
詰めてあった銀がとれてしまったのでくっつけて欲しい、僕はそういった。先生は銀と奥歯のほうを覗き込みながらゆっくりこたえた。
「では、歯を少しきれいにしてからストロングセメントでくっつけますね。」
ストロングセメント?それは一体どんなセメントなんだろうとその言葉に少し恐怖したが、まあアロンアルファよりマシだろうと自分を落ち着けた。

先生のタッチには繊細な感じはまったくなかったが、下手といった印象も受けなかった。銀をくっつけるくらいのことなら問題ないだろう。しかし、先生は診察室に流れるラジオから自分の好きな曲が流れてくると歌ったり、口笛吹いたり、リズムをとったりしながら施術をする。ヤスリやらドリルやらで歯にキーン・・ゴリゴリとやっている最中にだ。さすがラテン系、でも大丈夫?

すべて問題なく終った。施術の手順や内容は日本とほぼ同じなので比較的安心してお願いできる。銀を詰めるのにかかった費用は90ケツァール(1350円)。それで憂いが晴れるんだったら安いもんだ。

歯って大事だ。歯がトラぶっているのかいないのかで気分が全然違う。これから大切にしていきたい。(昭浩)

古都アンティグア 1月20日

 

アンティグアはいいところだ。
緑の山に囲まれた古都。石畳の路地が碁盤の目のようにはりめぐらされ、パステルカラーの壁の家、赤茶けた瓦屋根、地震で壊れたままになっている教会・・・のどかな自然の中にスペイン入植時代の面影を残す。雰囲気がいい。

とくに僕が気に入っているのは、かつて都であったアンティグアの前にどっしりと構える火山の姿だ。富士山に似たそのシルエットは里心を刺激される。
宿の屋上からこの火山がよく見える。この山を見ながら屋上でごはんを食べ、本を読み、ビールやコーヒーを飲む。それだけでいい。
アンティグアには1ヶ月、2ヶ月とハマっている人が多いが、それはうなずける。
アンティグアはいいところだ。(昭浩)

アンティグアから見える火山。この火山の雄姿がのどかな雰囲気を町に与えている
コロニアル調、パステルカラーの建物が青い空に映える
地震で崩れた教会。再建せずに博物館になっている

チチカステナンゴへ  1月21日

朝10時、カズさんとやすこさんに見送られて、チキンバスに乗る。
前回と同じように動き始めたバスに飛び乗った。やれやれ、グアテマラではいつもこうなのか・・・。そして、ふたりが見えなくなるまで手を振った。いよいよまた旅が始まる。
2週間近く一緒にいたふたりとしばらくあえなくなると思うと寂しい気もするが、きっとまたどこか出会えそうな気もする。
アンティグアの石畳の道をゴトゴト走っていたバスは、そのうち舗装道路に出て、飛ばし始めた。しかしくねくねの坂道が多い。そして最初すいていたバスも人でぎゅうぎゅうづめになった。

チマールテナンゴというところで、バスから降ろされたところはバス停も何にもないところ。
一体どうすりゃいいの?と途方に暮れた。
しかし何とか乗り場を見つけて、次のバスに乗る。そしてバスはすぐに発車した。

このバスはわりとすいていて快適だった。が、だんだんトイレに行きたくなってきた。
バスが跳ねるたびに膀胱に響いて苦しい。
それから約一時間、いや、もっとかもしれない。必死でガマンして次の乗り換えのときに、1ケツァールも出してトイレに駆け込んだ。セーフ。
最後のバスも混んでいた。でも気分はすっきり、さわやかさん。

チチカステナンゴに着いたのは1時過ぎ。こぢんまりとしていて、民族色もわりと出ている。夜はろうそくの似合う町、そして明日の市のために骨組みだけ木で組み立てられている様子は文化祭の前日みたいだった。(映子)

チチカステナンゴのマーケット 1月22日

朝起きると町は変わっていた。
木で組まれた即席店舗が広場だけじゃなくそこから伸びる路地にまですでにたくさんたっている。
どこからが路地でどこからが広場かさえよくわからない
昨日さんざんまわった町なのに店舗がひしめきあって昨日とまったく様子が変わっているので町をうまく把握できないのである。

店の中や狭い通りには極彩色の糸で派手に編まれたウィピルという民族衣装を着たおばちゃんたちがいっぱいいる。
頭の上に売り物の派手な布を重ねている。
背が低くて、少しコロコロしていて、派手な衣装を着たインディヘナ(先住民)のおばちゃんたちがこのマーケットの華だ。

マーケットで売られているものも濃厚な色使いのものが多く魅力的だ。
しかし、ここのおばちゃんたちなかなかまけてくれない。いや実際まけてくれるのだが、最初の言い値が売値の3倍以上なのでなかなかうまく値切るのが大変なんである。

これいくら、ときいて、50ケツァール(750円)というこたえが返ってくるとしよう。この時まずこちら側は、高い!とんでもない!といったリアクションをしなければいけない。するとおばちゃんは次に、いくらなら買うんだ?ときいてくる。そこでいくらというか、これ重要。こちらは15ケツァールで買いたいので、10ケツァールと言う。するとおばちゃんは、「ヒュー」といって驚いた素振りを見せる。(このリアクションはこのマーケットで商売している人全員同じ。値段交渉のマニュアルかなんかがあって出回っているにちがいない。) これからなんやかんややりとりし、何度か帰る素振りを見せたりし、ようやく15ケツァールになるわけ。
交渉決裂するケースも何度かあった。外国人のツアー団体客(すなわちお金持ちツーリスト)がいっぱい買い物をしていくので向こうも強気なのだ。
確かに外国人の団体客は大きな袋いっぱいに民芸品を買いあさっていた。僕たちだってグアテマラから日本へ直接帰国するんだったらたくさん買うさ。それくらい魅力的なものが多い。

夜になると即席店舗はほとんどひけていて、すっかり祭りのあとといったけだるい雰囲気だった。
ここチチカステナンゴでは毎週2回ずっと繰り返している。マーケットで生活している人々にとって週2回このお祭りみたいなマーケットを繰り返すという生活がどういうものかうまく想像できない。それって楽しいことなんだろうか。どうなんだろう?(昭浩)

まっ白な教会と、その前にいる色とりどりの衣装を着たインディヘナの人々
お面もいろいろ、鮮やかな色に魅かれてしまう

馬に乗った日―サンペドロ・ラ・ラグーナ―  1月24日

 

アティトラン湖に面した村、サンペドロ・ラ・ラグーナで、昨日湖畔で出会ったペドロと馬に乗って出かけた。
2時間コースで近くのビーチまで。馬はとてもおとなしく、ゆっくりゆっくり歩く。天気がすこぶるよかったので、湖がとてもきれいに見える。

ペドロと少し話をしながら、のんびりゆっくりと行った。
ペドロは、ココはコーヒー畑とか玉ねぎ畑とか説明してくれて、木になっているコーヒーの実を採って、食べてみるようにと渡してくれた。
しかしまずい。ちゃんとコーヒー豆になってからなら香りもいいのだろうけど、これは何だ?草っぽい、青臭い味しかしないぞ。
だけどそんな私の気持ちとは裏腹に、ベドロは親切心からか、2回も採ってくれた。

湖の水は透き通っていてきれいだった。もう少し暑かったら泳げたかな。実際泳いでいる人もいた。
私たちはそこに腰を下ろして、しばらく話をしていた。
日本のテクノロジーはすごいとペドロはしきりにほめていた。
お兄さんが乗っている車が日本車で、他の車とは違うんだ、と。彼のスペイン語はわかりやすい。
ゆっくりしゃべってくれているのかな。グアテマラのコーヒー産業が斜陽気味であることもわかった。

帰り道になると、馬は急に足取りも軽く、速くなった。
時々駆け出してギャロップもした。ペドロにはお世話になり、大満足の一日だったのに、チップをあげなかったことを少し後悔した。
チップって難しい。いつもどうしたモンかなと悩んでしまう。こんな習慣なければいいのに・・・(映子)

美しい湖を見ながら、馬に乗る。これ最高
世界一美しい湖、アティトラン湖
ペドロと一緒に湖畔で語らう

サンフアンのお祭り  1月25日

今日はお祭り。派手な衣装を着て踊る踊る。見ている人も踊りだしそう
どうやら宗教的なものらしい。音楽を奏でながら、神輿を担いでねり歩く

サンペドロで出会った人々  1月26日

今日1日のんびり過ごした。朝はいつものようにメルカドでフルーツを買った。
街を歩いていると、杖のおじさんに出会う。中南米を5年も旅している。ペルーで脳溢血で倒れて入院したので長くいたらしい。
それでもまだ旅をしているのがすごい。さらに勉強熱心なのにも脱帽である。英語、スペイン語、そしてポルトガル語。おじさんは話が長い。というか途切れない。
でもおととい会ったとき、馬に乗る直前で時間がなくて早々に切り上げてしまって悪かったなと思ったので、今回はとことん聞いてあげようと思った。
日本人に会うとやっぱり懐かしいんだよねー」と言っていたので余計にその気持ちが強くなった。
立ち話にも疲れてきた頃、おじさんも私たちに悪いと思ったのか、少しずつフェイドアウトしていった。

夕食後、宿の主人アントニオと話しをしていると、ひろこさんが来た日に、アントニオが宿にいなくて宿探しが難航したことを、「あのとき出かけていて悪かったなと思っている」と、泣かせることを言うので少し寂しくなった。
ここグアテマラもいろんな人がいるけど、こんなにいい人もいるんだなあ。

旅は大変だろうけど気をつけて
と言ってくれた。普通の生活と違って、旅をするということは大変だから、と。彼のおかげで昨日のお祭りにもいけたし、バスの情報も教えてくれたし、とにかくここで気持ちよく過ごすことができた。本当にどうもありがとう。(映子)

断食1日目 1月27日

 

今日の朝から断食をしている。
やせたいのだ。スマートな男になりたいのだ。笑いたきゃ笑え。
しかし、やせたいという理由は断食の理由の一部であって本当の理由は別にある。
健康である。断食健康法ってやつだ。

僕は日頃食い過ぎている。胃も大きくなるばかり。
くっさーいオナラを嗅ぐたびに腸の中に腐った宿便がどくろを巻いているのを想像してしまう。
そういうのをすべてここで一度リフレッシュしてみたほうがいいかなと思ったのだ。胃腸のオーバーホールってやつだ。

午前11時、お腹がすいてきた。
今日はサンペドロからシェラへと移動してきたので朝6時から起きている。だからお腹がすくのも早いのだ。
そしてシェラの街にはやたらうまそうなものが目につく。タコス、フルーツ、パン、ケーキ・・・
午後には空腹の波は去った。しかし、口は食べ物を求めている。禁煙したときに感じる口がさみしい、そんな感じに似ている。

夜になった。頭はぼんやりしている。
なんだか夢のなかにいるみたいにフワフワしている。かといってずっとフワフワしているわけじゃなく、意外と集中して本を読んだり日記を書いたりもできたりする。
集中力はあるんだけどときおり記憶がとんでしまったりすることもある。なんだかよくわからない状態だ。
明日はいったいどうなるんだろう。

断食2日目 1月28日

 

空腹感はない。物足りなさがある。

断食2日目、アルモロンガという近郊の村にいった。
断食というと部屋でじっとしていると思う人もいるかもしれないが、それは断食健康法的にはあまりよくない。激しい運動は無理だが、歩いたりしたほうがいいのだ。
それに何もしないというのは逆につらい。何かをしているときは、断食していることを忘れられるので、そっちのほうが精神的に楽なのだ。

村のマーケットを見て、その村の近くにある温泉につかって、のぼせてフラフラになって・・・たぶんそんな一日だったと思う。詳しくはあまり覚えていない。

空腹感はない。しかしイマイチ頭がさえない。でもクリアでもある
どっちなんだ?どっちでもいいや。今、夜の10時。これから眠って朝になれば・・・明日が楽しみだ。ふふふ・・・

断食明け 1月29日

 

うまい!バナナがうまい。甘く、香りが口の中に広がる。
次にアボガド。トロリとした感触にしょうゆの味がしみる。

「食べられる」ってことは本当にありがたいことなんだなあと思った。
毎日当然のように食べていた日々の糧にちゃんと感謝しなきゃいけないんだなあと心から思った。

昼はバナナとパン。断食は明けが肝心で、ゆっくりゆっくり食のペースを戻していかなきゃいけない。
夜は消化のいいものをと思ってポトフを作った。
ここまでは良かった。
多く作りすぎてしまったので2杯も食べてしまった。これもまあ許すとしよう。
しかし、その後がいけない。 

中山さんに誘われてワインバーにいってしまった。
そこでワインを飲み、チーズフォンデュを食らい、生ハム、サラミ、クラッカーと平らげてお腹ははちきれんばかり。断食明け初日なのに・・・
最後のツメの甘さのため断食健康法が健康のためになったかどうか微妙なものになってしまった。

実際の効果として、僕の場合目に見えるものとしてはベルトの穴がひとつつまったことくらいだろう。
映子の場合だいぶよかったみたいだ。というのは断食をすると生理痛が驚くほど軽くなるらしいのだ。来月もやるとはりきっている。

断食はつらい。
何がつらいか。空腹にはある程度耐えられる。しかし、食欲に克つのがたいへんなのだ。
欲に克つむずかしさを身にしみて感じた。
つらいけれど自分の体に起こる変化、精神に起こる変化は、ちょっと面白い体験なので、来月もやってみるつもりだ。(昭浩)

桃源郷トドスサントス  1月31日

僕たちはトドスサントスの土曜市に来ている。
トドスサントスは桃源郷と呼ばれているところ。山深い場所で独自の文化、民族衣装を守っているところが、俗界を離れた仙郷のような印象を人々に与えるからだろう。

トドスサントスでは4年ほど前に日本人団体旅行者が民衆に襲撃され死亡者がでるという事件があったところ。
だが、今はまったくそんな雰囲気もない。
正直少し緊張してトドスに来たのだが、全然危ないという感じはしないし、多分あれは旅行者やガイドたちの先住民族の感情を刺激した無配慮から引き起こった悲劇だという思いに確信すら覚えた。

違った意味でトドスの土曜市は独特な雰囲気だった。強い民族のアイデンティティを感じるその民族衣装で村は埋め尽くされている。

この村では女性だけでなく男性もみんな民族衣装を着ている
女性はウイピルと呼ばれる刺繍入りのシャツに地味な色の巻きスカート。
男性の衣装は女性よりはるかに派手だ。青紫の帯をかわいく巻いたムギワラ帽のようなトドス帽をかぶり、白地にいろいろな色の細い縦じまのシャツ、細い白の縦のストライプのはいった真っ赤なズボンという格好だ。

派手な男たちがそこここを動き回り徘徊するのがやたらと目立つ。
近くの村からも派手な男たちはバスやトラックにのってやってくる。バスが停まって、中からぞくぞくと衣装姿の男たちが出てくる様子は、同じ格好したおもちゃの人形がおもちゃ箱からでてくるようである。
メインストリートを見下ろす公園では、男たちは手すりにもたれかかりながらずらりと並んで通りの様子をながめている。もちろんみんな同じ格好だ。ここで全員が帽子を片手で持ってかかげれば、まるでコーラスラインのようだ。

午前中すっかりマーケットを堪能した僕たちは正午発のバスで帰路に向かった。
マーケット帰りで超満員のバスの中にはざっと数えたところ60人くらいの乗客が乗っていた。
僕らを含むツーリスト4人と普通の服を着ているグアテマラ人3人をのぞいて、他全員民族衣装である。
しかも派手な男性がほとんど。足元を見れば、赤パン赤パン赤パン・・・そして頭にはキュートな帽子たちが揺れている。
バスの運転手もコンダクターもトドス帽に赤パンのいでたちである。今日は朝からずっとおとぎの世界にいるみたいだ。
バスは山に囲まれたトドスサントスを離れ山道を走る。ぽかぽかした陽気のなか僕はうとうとと眠りのなかに沈んでいった。zzz・・・。

目が覚めるとまわりにいた派手な衣装のトドスの人たちはいなくなり、例えばジーパンにトレーナーといったような、普通の格好をしたグアテマラ人たちになっていた。
俗世間から離れた別天地からいつのまにか元の世界に戻ってきてしまっていた。
バスのなかに最初からずっと流れ続けているマリンバ演奏のテープの音楽だけが、トドスサントスの別世界の残響に共鳴していた。(昭浩)

山々に囲まれた町、トドスサントス
ここにある教会も白い
男の人の民族衣装。子供から大人までみんな着ている

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