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ネパール旅行記

10月22日〜10月27日

再び旅立ちの日   10月22日

朝起きると、すでに母は朝食の準備を始めていた。いつもよりいっぱいいろいろ用意していた。食べきれないくらいの量である。いつもなら私も手伝うんだけど、今日は手伝わなかった。読みかけの本を読み終えたくて、それが終ってからやっと食卓に着いた。
いよいよ今日出発かあ。あんまり実感がわかないままで車に乗り、高速を走ってあっという間に関空に着いてしまった。そして父と母に見送られて私たちは飛び立った。

タイ航空はとてもサービスがよくて、びっくりした。前回のユナイテッドがしょぼかっただけかもしれない。アルコールは有料で、ドリンクサービスも水しかこなかったから。今回は赤ワインも白ワインも飲んでごきげん。オレンジジュースやウーロン茶のサービスがしょっちゅうある。おしぼりも3回くらい来た。おまけに最後は生花のブローチのお土産付き。機内食のほかに和菓子のサービスもあったし、タイ航空はなかなかやるな。

バンコクに着くと、エアポートバスでカオサンへ向かった。夕方で道が混んでいたからか、とても時間がかかった。カオサン周辺は、変わってないようで結構変わっていた。あきちゃんが以前1人で泊まっていた宿はなくなっていた。しかたないのでその隣の宿にした。もっとびっくりしたのは私たちが二人で泊まったところもなくなっていたこと。2年も経つと変わるもんである。
倉光君たちと一緒に食べたおかゆ屋は相変わらず健在だったけど、一緒にビールを飲んだお店は建物がなくなっていて、そのかわり道にテーブルを出してビールを売っていた。
道端で売ってるオレンジジュースは値上がりしたのかな?でも味は変わらずおいしかった。(映子)

眠れない夜  10月23日

 

昨夜はよく眠れなかった。朝4時ごろ、外の話し声で目が覚めた。それもかなり大きな声だ。聞こえるだけでも3人はいる様子。こんな時間に大声でワッハワッハと楽しそうに話している。全く迷惑な欧米人である。もういいかげん言ってやろうと思ったけど、気の弱い私は言えなかった。部屋から言うと、部屋がばれて怖いかなと、トイレに行ってそのついでに言おうかとか、考えているうちにまた眠ってしまった。いつのまにか彼らもいなくなったらしい。おかげで9時ごろまで寝ていた。

旅行代理店に行くと、あと残り2席というところでなんとか今夜の便が取れた。明日はもうカトマンズだ。しかし、空港へ向かうエアポートバスが30分も遅れたので、代理店のネエちゃんに「何時にくるの?」と執拗に聞いたら、「5分で来るわい!!」と逆ギレされた。なんだよー。まあ飛行機に間に合ったからいいけど、ネエちゃん、そこは逆ギレするとこじゃないやろー。

バンコクのドンムアン空港を飛び立って、今夜はダッカのホテルで1泊だ。前回はいいホテルだったので今回も期待していた。が、しょぼい、しょぼすぎる・・・。まあいつも私たちが泊まっている程度のホテルではあるけれど・・・それにしても蚊が多いせいで、今夜もまたよく眠れなかったのだった。(映子)

バンコクですることはチケットを買うこと、それくらいのものだ。観光は前回来たときほとんど済ませたので特別行きたいところはないからバンコクではほとんどやることがないのだ。
目的なき滞在というのはとてももの足りなく感じる。これまでいつも目的を持って旅してきたからということもあるし、2002年の3月バンコクに来たときは世界一周の途中だったということも大きい。

振り返れば、世界一周する道のりがどれほどのもので、先にはどんな世界があるのか全然想像できなかったあの頃、そんな未知の前途がなんとなく重く背中にのしかかっていた
しかし、今は違う。気持ち的にはとても身軽だ。一周も終ったし、これからいくところはどれもいったことある国だし、たった2ヶ月だし。ただ唯一エベレストの麓までトレッキングをするという大目的だけが、今回の旅に緊張感を与えている。
もし、次に世界一周するとしたら何かしらテーマや目的、例えばダイビングをガンガンやるといったような、そういうものを持ってやらないと無理だろうなと思う。同じような世界一周じゃモチベーションをキープできないんじゃないかと思う。
世界を一周して再びバンコクにやってきて、世界一周前と世界一周後の自分の変化を感じる。自分の立っている場所が以前来たバンコクとは同じバンコクでも違っている。一周の前と一周の後じゃ違って当然だろう。多分もう二度と世界一周の未知の前途を背負った旅人には戻れないのだなと思った。

僕たちは世界一周という夢を達成してしまったんだ。同じ世界一周という夢はもう見られないんだ。そう思うと少し寂しい気持ちになった。
再び日本を飛び出したタイのバンコクで夢の終わりを感んじるのなんておかしなことだ。(昭浩)

僕らはバンコクをこの日発ち、ダッカへと向かった

ネパールへ 10月24日

やり残したことがあって、それをどうしてもやりたくて、ネパールにまたやってきた。
エベレストの麓にいってエベレストを間近で見ること。
これをやんなきゃ旅は終われない。

飛行機が止まりタラップを降りた。とてもドキドキした。初めての国じゃないのにこんなにドキドキするというのは、やはりうれしくてしかたないのだろう。
宿に荷物を下ろし、少しカトマンズを散歩した。ほとんど2年前と変わっていない。カトマンズには前回長くいたので友達が多い。その友達を訪ね歩くが、旅行代理店を経営している日本人のお姉さんは留守だった。前回泊まった宿で働いていたハリもラビンも職場が変わり、しかも新しい職場に訪ねていってもいなかった。ガイドのシュリーは山にいっていてしばらく帰ってこないらしい。

「せっかくカトマンズに帰ってきたのにみんなどこに行ってんの!」
僕は憤りすら覚えた。

なつかしいネパールの定食ダルバードでも食べようと毎日通ったトリベニというダルバート屋にいったが閉まっていた。よく通ったギリンチェというチベット料理にも行ってみたが、そこも閉まっていた。結局、これまで一度も入ったことのないウィンドウ越しにタンドリーチキンを焼いている店に入った。それがとんだハズレの店で、高いくせにしょぼかった。

久しぶりにカトマンズに戻ってきて激しく興奮していたが、そのイキオイをスカされたそんなカトマンズ初日だった。(昭浩)

いつも泊っているホーリーランドの屋上からの景色。いろんなことを思い出す

出会いのカトマンズ  10月26日

宿のおじさんと話していると、バスのチケットは今日買っておいた方がいいと言われたので、オールドバスパークまで歩いた。道端でいろんなものを売る人々がいた。レモンを並べて売る女、雑貨を売る少年。その風景はやっぱりどこか見覚えがある。しかし、ヒトも車も多いなこの街は。特にバイクが多い。ひかれそうで怖い。タメルとか細い路地でもすいすい行けるから、便利なんだろうけど。

バスチケットを買った後、なつかしいスノーマンへ。そこはタメル地区からは少し歩くがおいしいデザートが食べれるカフェで、遠いのに前回も何度か足を運んだ場所である。久々に食べたクリームキャラメル、こんな味だったかな。米粒が入ってるぞ。

以前お世話になった旅行代理店のお姉さんへのおみやげにチーズケーキを買って、帰りに寄ってみた。お姉さんはまたいなかったけど、電話してくれたのですぐ来てくれた。なんと2歳の子供がいたのだ。だからいつもいなかったんだなあ、と納得。そして2年の月日が流れたことを実感する。やっとお姉さんに会えてうれしかった。お姉さんはお母さんになっても全然変わっていなかった。トレッキングの話からいつもの周辺のおいしいものの話までいろいろ話した。

トレッキング中はやっぱり寒いからセーターが必要だろうということで、私はそのあと一人で買い物に出かけた。セーターが売ってそうなお店をいくつか見た。どこも結構売込みが激しくてちょっとうんざりしてしまった。もう買うのやめようかなあ。

でもよく話してみると、いい人だったりするんだなと途中で気がついた。それは一番初めに見たパシュミナ屋さん。ここのお兄さんが最初はしつこくていやー!と思ったけどもう一回行って、話してみるとなかなか面白い人で、いい人だった。プレムという名の彼は30歳。大学の修士課程を終えたばかりで弟と妹とお店をやっている。日本からも買い付けに来ているらしく、しっかりビジネスしてる。英語のシティガイドもしていて、英語はマスターしたけど日本語はまだまだという。でも結構うまい。お父さんが最近亡くなったこととか、カーストの話とか、興味深い話を聞けた。例によってお茶をごちそうになって、すっかり向こうのペースという感じもするが、楽しかったからいいのだ。こんなとき、お茶よりももっともっと何か得したような気分になる。

セーターの色をどうしても決められなかったので、あきちゃんと一緒にもう一度行くと、またお茶をごちそうになった。そしてネパール語を教えてもらったり、トレッキングの話をしたり、しばらく話をした後別れた。

明日のための買い物はあと水だけ、とマーケットに行くと、カズさんとヤスコさんと再会。思えばグアテマラのアンティグアで別れて以来だ。メールのやり取りで近くにいるのは知ってたけれど、てっきりまだチベットにいると思ったら、ヤスコさんが高山病で急遽今日戻ってきたらしい。店の中でしばらく話した。何から話したらいいかわからなかった。積もる話がありすぎて。ご飯を食べたあとだったのと、夜遅かったので、あまり長くは話せなかった。でももう会えないかと思っていたので、会えてうれしかった。

今日は他にも街を歩いていたら、南米ペルーのクスコの宿で一緒だった男の子にも会った。そして宿の近くでラビンにも会えた。前回のネパールでお世話になった宿の元従業員だ。今は別のところ、旅行代理店で働いているらしい。いろんな出会いがあるカトマンズ、この街はいればいるほど楽しくなってくる。やっぱり私はこの町が好きだ。(映子)

ジリまでの長い道のり  10月27日

カトマンズからジリ行きのエクスプレスのバスに乗ると、バンコク→ダッカ→カトマンズの飛行機で一緒だったカナダ人3人組にあった。欧米人旅行者もチラホラいる。6時半過ぎに出発したバスは1時間ほどでトイレ休憩を取った。バスの窓から風がすうすう入ってきてすっかり冷えてしまった私は早速トイレに行った。

バスは山道をくねくね行って、前の子供がゲロってるー!!と思ったらあきちゃんの隣のおばはんはその前からゲロってるとか。さらに進むと今度は前の子供のとなりのおやじがもらいゲロ、もう臭いぞー!!

ダルバート(食事)休憩の時、私は再びトイレに行きたかったので並んでいたら欧米人のおやじが遅くてダルバートを食べ損ねちゃった。あーあ。私の前に並んでいたカナダ人はトイレに行ったあとにがんばってかきこんで食べていたけれど、あんなに急いで食べるのはイヤだしね。

バスは朝も一回パンクしてタイヤを替えたのに再びパンクした。とにかくガタガタ道が多くて道を横切るように小川が流れること数回、バスのお尻の部分をガリガリっとすること2〜3回、体が跳ねることは何回もあって天井に頭をぶつけた。さらにパンクしたタイヤを替えようとしたら再びプシューっと音がしてもう1つ別の予備のタイヤもパンク。1時間くらいかかって1つのタイヤ交換終了。

少し進んで村に着いて、また30分近くかかってもう一つのタイヤを替えた。バスの運ちゃんはその後あせったのか、前のバスを追い越そうとしてぬかるみにはまる。バスは斜めになったまま動かない。みんなバスから降りて待つ。やっとぬかるみから脱出したバスは、その村の水のパイプを破壊してしまったらしい。パイプが折れて、そこから水が噴出している。しばらく村人たちにヤイヤイ言われたあと、バスは逃げるように去っていった。

だんだんと暗くなってきた。こんな時山道を行くのはとても心細いもんだ。私は祈るような気持ちになった。「無事にジリに着きますように」

雨が降り出してきた。ジリの手前にチェックポストがあって、外人は名前やパスポートナンバーなどを書く。そこから宿の客引きはバスに乗ってきた。そしてジリはもうすぐそこだった。

私たちは、バスに乗ってきた客引きは相手にせず、さっさとバスを降り、その後声をかけてきた客引きの宿へ行ってみた。彼は少し自信なさげで、人のよさがにじみ出てる感じの人だ。まあ客引きであるから怪しげな部分もあわせもってはいるが悪い人ではなさそうだ。

宿のオーナー、スシルは23歳。なのにかなりしっかりしている。ガイド暦7年だという。そして子供が一人いる。「お金がすべてじゃない」なんてかっこいいこと言っちゃって、いろいろ安くしてくれた。

食事の後、部屋に戻ろうとすると、「もう少し話そう」と言って引き止められる。トレッキングの情報も聞くことができた。ネパール人はよく笑う。その笑顔が何だか楽しい気分にしてくれる。それと、私たちアジア人は顔立ちが似てるということで親しみがわくのだろう。前回ネパールに来た時も、「同じアジア人だから」という言葉をよく聞いた。だからいつも親切にしてくれる。うれしいことだ。私たちも見習わなければと思う。(映子)

僕たちはスリに遭った。
カトマンズのバス停でのことだ。

まだ暗い早朝、バス停に停車しているバスに乗り込もうとした。
バスの中にはもうすでに乗り込んでいるネパール人がいる。そのなかの3人がちょうど降りようとしていたので、先に彼らを通そうとしたら、お先にどうぞ、とばかりに少しよけてくれた。
あとから考えればこの3人の行動はとても不自然なのだが、彼らは人相が悪いわけでもななかったし、ごく普通の青年だったのでとくに疑いは持たなかった。
しかし、僕はブラジルでバスの中でスリに遭遇した体験があったので、すれ違いざまにスラれないように、うまく体をかわしながら座席の奥のほうへといった。
座席に荷物を置いて映子のほうを振り向くと、さっきバスのなかですれ違った3人の青年の1人が映子の後ろにぴたりとくっつくように立ち映子に席の場所を教えていた。

僕はそのときピンときて、その男につかみかかった。そしてよく見たら案の定映子のカバンの口は開けられていた。
「てめぇ!とったもんだせ!」とばかりに男にせまり、そして映子にはカバンのなかでとられたものがないかチェックしてもらう。とりあえず、カメラが無事だったのでホッとした。どうやら未遂だったらしい。

こういう状況って難しい。未遂だったとしたらこちらは何もできない。明らかにスリであることは間違いない、と思いながら、困ったことにもし違っていたらどうしようと言う考えも頭をよぎる。結局、つかんだ腕を放して逃がしてやるしかないのだ。そして、同じバスに乗るといっていた3人組は当然同じバスに乗ることはなかった。そこで、やはりあいつらはワルだったのだな、と納得しながら憤慨しているしかなかった。

僕たちはこの3年の間に3度スリに遭っている。そしてそのすべてがバスの乗り降りの際に起きている。(昭浩)

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