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シリア旅行記1

 

11月20日〜11月29日

シリアとレバノンの旅は遺跡めぐりが中心の旅である。遺跡は、大きく分けると二つのカテゴリーに分かれる。ひとつがローマ遺跡でもうひとつが十字軍の城だ。ローマ遺跡で予想に反してインパクトがあったのがバールベック。城の中ではクラック・ディシュバリエ城がダントツに良かった。

アラブ料理に関しては、トルコに比べ料理のバリエーションはグンと減るが、イランの時のように耐えられないほどではない。ホンモスというこっちの主食である豆のペーストは何回食べても飽きないし、しかも安い。

日本から見ると、中東は危険な雰囲気を醸し出しているが、治安はすこぶるいい。宿も交通機関も充実していて、大変旅行しやすいところ。実際旅をしていてそう切に感じた。
そしてもうひとつ意外に感じたのは、シリア・レバノン・ヨルダン・イスラエルを通してもっとも落ち着ける場所だったのが、以前泥沼の内戦のあったベイルートだったということだ。
想像していたのとは違ったいろんなところで意外なことの多かった旅だった。(昭浩)

シリアの地図

シリア入国  11月20日

トルコのアンタクヤで余ったリラをすべてシリアポンドに替えて、10時のバスに乗った。国境まで約1時間、手続きはわりとスムーズだった。それでも出入国で約1時間かかった。シリア入国の時、ピンクの紙を書くようにと渡されるけど、すべてアラビア語表記、あれれー??いきなりわからない。周りの人が教えてくれたのは、NameとSurnameだけ。名前しか書いてない状態で、まあいいや、えいっと出すと、「Father’s name?」と聞かれて父の名を窓口に向かって叫ぶ。続いて「Mather’s name?」と聞かれて、母の名前を叫ぶ。あきちゃんも同じように聞かれて、同じように叫ぶ。イスラムの国では、親の名前が重要なのだろうか?ビザの申請のときにも、書いたような気がする。まあ、とにかくピンクの紙は、名前だけでOKだった。こんなんでいいの?と思ったけど、無事入国。(映子)

僕たちはシリア流の歓迎を受けて、このアレッポの町にやってきた。
僕たちの乗ったバスはアレッポの町に入ると、バスターミナルへは行かず渋滞する幹線道路のど真ん中で停車した。渋滞してこれ以上進めないからここで降りろと言う。
「そんなこと言われたって、ここがどこだかさっぱりわからないよー」
しかし、僕たちには迷うヒマすらなかった。バスを降り、大きい荷物を受け取ろうとすると、バゲージキャビンにいれたはずの大きなバックパックがないのである。まわりをみわたすと、20mくらい先を僕らのバックパックをトランクに詰め込んだタクシーがすでに走っているではないか。もちろん行き先も行ってないし、料金も聞いていない。あせったね、このときは。とっさにタクシー目がけてふたりして走っていた。
この国の人はなんて強引なのだ。それが、僕のシリア人に抱いた最初の印象である。(昭浩)

アレッポの町は都会で、アンタクヤ以上にごみごみしている。イランと同じような文字であふれかえり、イスラム色も強く感じられる。女の人は黒いベールをかぶっている人が多く、男の人は、赤いチェックのカフィーヤと呼ばれる布と、黒い輪っかを頭にのせている。違う国に来たのだ。久々に新鮮な感動を覚えた。(映子)

シリアの人はトルコ人に似ていなくもないが、やっぱりトルコ人より濃い顔立ちのように思える。みんな人懐っこく僕たちに声をかけてくる。国境を越えたら、そこには違う文化があり、いろんな刺激が待っている。旅をしていて一番楽しい瞬間かもしれない。(昭浩)

アレッポのスーク
スーク。活気があって楽しい
アレッポの町
アレッポの町の中心付近

アレッポ城とアザーン、そしてシリアはラマダン中 11月21日

難攻不落のアレッポ城。入り口から門にかけてとても立派で、中はどんなだろうとドキドキしながら入ったけれど、たいしたことなかった。ほとんど崩れて何もないところで、工事中か、修復済みでとても新しくきれいになっているか、どちらかだった。真ん中の道を進んで、向こう側の城壁のところまで来て一休み。すると、アザーンが流れてきた。それは、街中のアザーンがすべてここに集まってきているような感じで、大音響だった。スモッグに煙る街を見ながら、アザーンを聞いていた。街は色がなくて、土色というか、灰色というか、とても地味で、やたらモスクが多かった。
 城内の見所と思われるところを片っ端から歩いてみたけれど、やっぱり門が一番よかった。そして、あのアザーン。今までずっとイスラム教の国にいて、いろんなところでアザーンを聞いてきたけれど、この日のアザーンが一番心に残っている。(映子)

シリアは今ラマダン中である。でも旅人の僕らにはあまり関係ない。レストランは昼間だって開いている。照明をつけていない薄暗い店内に入ると、柱の陰でシリア人が昼飯を食べていた。「こいつら飯喰ってんじゃん!」ちょっと拍子ぬけ。
でもそれはたぶんごく一部の人たちで、多くの人は断食をしているようである。夕方日没の頃町の中にいればはっきりわかる。日が暮れはじめると食べ物屋以外のお店はみんなシャッターを下ろしはじめる。道路がやたら混雑する。運転も殺気だっていて荒い。レストランはどこも混んでる。テーブルの上にたくさんの料理をのせて、大きい男たちが晩ごはんを待つ子供のように、今か今かと日没を待っている。
「パンッパンッ」
日が沈んだ4時半頃、大きな合図が鳴るとみんなが一斉に食べはじめる。抑えられていた食への欲求が一気に開放される。町中が笑顔だ。楽しいエネルギーが満ちている。お祭りのような雰囲気だ。不便なことも多いこのラマダンも、普段とは違う人々の営みが垣間見れるので楽しい。(昭浩)

アレッポ城
二重の砦となっているアレッポ城の門
アレッポ城から見たアレッポの町
町中のアザーンが響きわたっていた

ハマ 11月22日・23日

中東の移動は楽である。中東の国々はどこも小さい。そして、道路が整備されている。アレッポから3時間ほどで次の目的地のハマに着いてしまった。
 ハマは世界最大の水車のある町。観光にはそれほど力をいれていないのか、世界最大の水車は町から少し離れたところで寂しそうにたたずんでいた。それ以外にもいくつかたくさんの水車がこの町にはある。雨の少なそうな乾燥した場所にある町なのに、水車っていうのもなんかミスマッチのような気がする。ミスマッチだけど、水車は町の風景に潤いを与えてくれる。町には僕たちが生まれる以前の年代モノの黄色いベンツのタクシーが通りを流している。カエルたくさんの沼のようによどんだ川、まわりには背丈より高い草がぼうぼう、そこに壊れかけの今は使われていない水車がある。そんななかをシリア人に声をかけられながら散歩する。それが、ハマでの僕らの生活だった。(昭浩)

ハマの水車
たかが水車されど水車。風情があります
 アシュシャマミス城
広い荒野に囲まれたアシュシャマミス城

オバQとパルミラへ 11月24日

バスに乗ったらオバQだらけ。僕たち以外はみんなオバQ。いよいよアラブである。

アラブ人と聞いて、カフィーヤという布を頭にかけその上に黒い輪をのせたスタイルを思い浮かべる人は多いと思う。アラファト議長がやっているアレである。僕らはあれをオバQと呼んでいる。白い布をかぶっているとオバケのQ太郎みたいだからだ。
それまで、オバQそんなに見ないねー、なんて言っていたが、パルミラ行きのバスの中は、僕ら以外のほとんどが赤オバQでだった。
パルミラまでの道は荒れた砂漠の中を走るが、砂漠に似合わず天気は雨。砂漠で雨が降ると大変だ。降った雨は、その乾いた大地にスポンジのように吸収されるイメージがあるけれど、本当はその逆。木とか生えていないから保水能力が著しく低い。まったくコントロールされない水たちが勝手に低いところへと集まってきて、そのうち部分的な洪水になる。そして場所によっては砂漠を横切るアスファルトの道をその水の下に沈めてしまう。そのために川渡りのようなところが何箇所かあって、時間がかかった。
ようやくついたパルミラだけど、太陽が一日照っていないから寒い。日本の冬並に寒い。しかもホテルのヒーターはつかない。 暑い国だと思ったシリアは、日が差さなければ恐ろしく寒い国なのだと身にしみて感じた。(昭浩)

 バスの中のオバQ
オバQに囲まれると中東を旅しているって実感しちゃうなあ

パルミラ遺跡   11月25日

早起きして遺跡を見に行こう!と張り切っていた。けれど、寒い。とにかく寒い。遺跡どころではない寒さなので、先に博物館へ行くことにした。すると博物館の前でたむろしているおやじに、「墓へ行かないか?」と言われた。壁画が美しいと言われている三兄弟の墓と言う見所が、少し離れたところにあるのだ。思っていたよりは安かったので行くことにした。
先に博物館を見た後、墓の谷へと向かった。最初に見た墓は、壁画はなく、墓自体はたいしたことはない。でも塔の上に登ると景色がいい。他にも崩れかけの塔がいくつも見える。ただ、とても寒かったので、長くはいられない。
三兄弟の墓には壁画がある。古い壁画が残っているのはすごいなとは思うけど、そんなに感動するほどのものではない。それでも私たちは、「行く時間あるかなあ」なんて言っていた所に、すんなりと行けたことに満足していた。

そしていよいよ、パルミラ遺跡メインのベル神殿へ。博物館で模型を見たので、崩れているところも、昔の姿がイメージできた。柱も壁もかなりたくさん残っている。パルミラを三大がっかりと言う人がいるらしい。けど全然そんなことはないと思った。他の神殿や住居跡などは無料で見ることができる。かなり広い範囲にあって、見ごたえがある。そして、写真を撮るにも、絵になる風景がたくさんあった。

時々物売りや、「らくだはらくだ」と言いながららくだ使いがやってきてうざい。遺跡はいいけど、この町はあんまり好きになれなかった。人々が観光客を見る目はハイエナのようで、常に獲物を狙っている。喰らいつこうと必死で、喰らいついたら離れない。そんな勢いがある。でも日本人旅行者とのいい出会いがあった。(映子)

 世界遺産パルミラ遺跡
賛否意見が分かれるパルミラ。遺跡は広範囲に広がっている。僕は好きだ
 アラブ城
パルミラの遺跡を見守るようにたつアラブ城。朝日夕日のきれいなポイントでもある

クラック・デ・シュバリエ  11月26日

朝7時半、ホムス行きのカルナック(国営)バスに乗った。バスにはテレビがついている。ブルマン(私営)バスのようにコメディをやったりしない。ただそこにあるだけで、つけないのだ。2時間くらいでホムスに着いた。
ホムスのバス停で、親切なおじさんがミクロバス乗り場を教えてくれた。あきちゃんは異常に警戒して、*「おまえはタクシードライバーか?」と言ったけれど、実はいい人だったのだ。パルミラへ行くときに、ブルマンバスの人たちは、「ミクロバスはない」と嘘をついたので、疑ってしまうのもまあ無理もないことでもある。

クラック・デ・シュバリエまではセルビスしかなく、なぜか荷物代を取ろうとするので、むかついて他を探して歩いた。それでもやっぱりその車しかないみたい。親切なお兄ちゃんが間に入って交渉してくれて、何とかOK。隣りに座ったおじいちゃんはニコニコ顔ですごくいい人。だってその悪者顔のドライバーがとてもいい顔になったんだもの。周りの人たちの雰囲気が急に良くなった。こういう人っているもんだ。あやかりたい。

クラック・デ・シュバリエ、この城はでかい。そしてよく残っている。十字軍の残した城とあって元教会がある。イスラムが入ってきて、モスクに変わった形跡もある。たくさんのトイレ、広い倉庫、地下深くまでいけるアラブ風呂、そしていたるところに登れる階段があり、いくつも塔や屋根に登った。私はバテ気味だったが、あきちゃんはなぜか元気だった。少年のようにいろんなところを探検したがった。でも、その夜、彼は真っ先に眠りについたのだった。(映子)

*タクシードライバーは、バス停に行きたいのにタクシー乗り場に連れて行って、「もうバスはない、タクシーでしか行けない。」なんてウソを言うことがある。)

 世界遺産クラックディシュバリエ
ラピュタのシータが捕らえられていた城のモデルといわれている美しい城

タルトゥースへの長い道のり  11月27日

7時におきて7時半に朝食。のはずだったのに、頼んでおいた宿の兄ちゃんが現れない。兄ちゃんと言ってもここのチーフ(またはオーナー?とにかくちょっとえらい人)らしい。雇われのおじちゃんが来て、「10分(で来る)」と言っても一向に現れる気配なし。そのおじちゃんは探しに行ったのか、どこかに行ってしまった。私はお城の見えるところで、3匹の犬と一緒に日なたぼっこして待つことにした。心を落ち着かせようと思ったのだ。
9時頃にあまりにお腹がすいてグレープフルーツを食べた。私もあきちゃんもあまりの遅さにキレそうになってきて、おじちゃんが戻ってきたところを捕まえて「彼の家へ行け」と言った。ところが、行ったところは昨日ご飯を食べた近くのレストラン。そこのチーフらしき人(オカマっぽいので私たちはオカマちゃんと呼んでいた)が、「プロブレム?」と聞くので、「イエス!」と答えて、少し興奮気味に事情を話した。オカマちゃんは、雇われのおじちゃんと話したり、電話をしたりしてくれて、紅茶も入れてくれた。そして、私たちが紅茶を飲み始めた頃、「彼はもう来てるから、ゆっくり飲んでもいいし、早く行きたければすぐに行けばいい」と言われた。2時間以上も待っていたんだからそりゃあ早く行きたいよ!!と思った私たちは、急いで紅茶を飲みほした。
宿に戻るとあら不思議。どこから現れたのか、あの兄ちゃんがレストランに座っている。私たちのパスポートはカウンターに置かれていた。そう、私たちがすぐに出発できなかったのは、パスポートを人質に取られていたからなのだ。私は怒りが込み上げてきて、もう何も言えなくなった。彼は謝っていたけど、とても許す気にはなれなかった。酒くさい息で言い訳されても、いやな気分になるだけだ。要は昨日飲みすぎて寝坊したのだ。ばかばかしい。そんなことで3時間近くも待たされるなんて。雇われのおじちゃんにだけはお礼とさよならを言って宿を後にした。

セルビスに乗ってハイウェイに出た。そこから、タルトゥースへ行くのは予想以上に大変だった。ボロいバスを捕まえることができたんだけど、それは途中までしか行かなかった。またしてもセルビスかバスを捕まえなければならない。
ハイウェイで待っていると、反対車線からでかいトラックに乗ったおやじがやってきて、「乗っていけ」と言う。反対側にいるのにタルトゥースまで乗っけてくれると言う。なんだかラッキーだなあと乗ったのはいいのだけれど、途中で止まった。おやじは何をやっているのか知らないけど、私のほうのドアを開けて、シートの下で何かを探している。そして、さりげなくお尻や腕を触ってくる。乗る前から、「早く乗れ」と腰に手をまわしてきてちょっと気持ちが悪かったのであきちゃんにおやじの隣に乗ってもらったのだ。おやじはまた車を運転し始めたのだけれど、今度は私に「隣に座れ」と言ってくる。「No」と言ってかたくなに拒否していると、また車を止めた。あまりにも気持ち悪いので、荷物を降ろして降りることにした。おやじも降りてきて「待て」とか言ってきたけれど、私たちは逃げるように立ち去った。おやじもあきらめてタルトゥース方向へ走り去った。

その後またハイウェイで待って、やっとタルトゥース行きのセルビスが来た。そしてタルトゥースに着いて、さらにセルビスに乗って宿にたどり着いた。ここまででやっと昼過ぎ。だけど何だかとっても長―い一日が終わったようにぐったりと疲れてしまった。すんなり行ければ1時間くらいでつくところなのに。おかげでマルカブ城も行けなかった。あーあ。(映子)

中東は痴漢が多い。女性の1人旅(特に日本人)はよく狙われる。二人で旅しててもこれだからね。途中ヨガリ声のような声で「マダ〜ム マダ〜ム」と言ってくる。気持ちわるいったらありゃしない。(昭浩)

マルカブ城に行けずサラディーン城へ 11月28日

ラタキアまでは1時間と近いので、今日こそマルカブ城に行くぞと思っていたのだけれど・・・・またしてもハプニング。ホテルからセルビス乗り場まで重い荷物を背負って歩くこと約20分。9時発のバスに乗ったとき、あきちゃんがズボンのポケットを探った。「あ!」ホテルのカギを持ってきてしまったのだ。チケット売りの兄ちゃんが「時間は充分ある」と言うのであきちゃんはホテルにカギを返しに行ってしまった。でも時間なんてそんなにあるわけないよな。人もいっぱい乗ってきたし・・・。案の定、バスは動き出した。運転手に「待って!」というように身振りをしたら、「降りろ!」という風にされた。1人でがんばって荷物を降ろしていると、リュックに付けていた水のペットボトルが落ちて割れた。いやーな感じ。今日もついてない。あきちゃんが汗びっしょりになって走って帰ってきたけど、つらい思いをした私は、とても温かく迎えるなんてできなかった。

ラタキアに着いたのはもうお昼頃。宿の兄ちゃんと話して、情報ノートも見て、サラディーン城のほうが近いからそっちに行くことに決定。セルビスはハッフェというところまでしか行かないが、そのまま少しお金を出して、サラディーン城まで行ってもらった。くねくねの山道を下りていってまた登る。1つ谷を越えて山の上にある城にたどり着いた。この時1時40分。2時にしまると言われたので、ものすごく駆け足で見た。本当はゆっくり見たかったけど、お城の中は広くてきりがないし、どこも一緒。逆に短くてよかったかもしれない。サラディーン城は向こうの山から見た姿が一番良かった。周りは山ばかりで、山の上に浮かんでいるような城だった。(映子)

サラディーン城
山の上にある木々に包まれたサラディーン城。とても絵になる

やっとマルカブ城そして二人は別々の道を行く  11月29日

3日越しの念願かなってマルカブ城へ行った。今日は風が強い。バニアスで、親切な兄ちゃんにセルビスに乗せてもらった。はずだったが、セルビスは途中で止まる。歩いていけと言う。この風の中を!!飛ばされそうになりながら歩いて登っていると、軽トラみたいなのが止まってくれて乗っけてくれた。どうもありがとう。旅をしてると、特にムスリムの国の人々はとても親切でそれが当たり前のように思ってしまうけど、感謝の気持ちを忘れてはいけないなと思う。
マルカブ城は、黒っぽい石を積んで造ってある。石の積み方がちょっといいかげんな気がする。見所は教会のフレスコ画と城から見える地中海。天気が悪く、海は荒れに荒れていた。そして、とにかく風が強くて、寒かったので早々に城を後にした。

マルカブ城
ここからの地中海のパノラマはすばらしい。城の中はしょぼい

ラタキアに戻ると、あきちゃんはすぐにウガリットヘ向かった。世界遺産だからどうしても見ておきたいらしい。私は大事なものはみんな「〜博物館にある」といつもガイドブックに書いているので、興ざめしていた。そこで1人ラタキア博物館に行った。開いているのか閉まっているのかわからないような博物館で、客は私だけなので、おじさんはいちいちカギを開けてくれた。案の定、ウガリットからの出土品がたくさんあった。珍しかったのは、陶器の棺。後は私の好きなランプ、いろいろな模様のものを見て、アラジンの魔法のランプを思い出していた。(映子)

 世界遺産ウガリット
誰もいない紀元前の都市国家遺跡ウガリットでひとり悠久のときをしのぶのもいい
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