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ベトナムホーチミン旅行記

2月25日〜3月2日

ダナン―ホーチミン列車の旅   2月25日

ホイアンからダナン駅までタクシーで行った。
そこから、ベトナムで初の列車の旅の始まりだ。
駅は、思っていたよりずっと小さくて、表示が全然ないので、何時にどこ行きの列車が何番ホームから出るとか、全く分からない。
待合室で待っていると、アナウンスがあったけれど、何だか分からない。
その後、列車が来たけれど、誰も乗ろうとはしない。
周りの人に聞いてみても、違うと言う。
不安な気持ちのまま待っていると、1時間くらい遅れて、私たちの乗る列車が来た。
プラットホームというものはなく、線路の上を歩いて乗り越えて目的の列車に向かう。

電車の中は、ヘンなベトナム風の?音楽がかかっていて、中国の天津行きのフェリーを思わせた。
ソフトシートはリクライニングするのだけれど、
私のシートは壊れていて、もたれると一気に最後まで倒れ、起き上がると戻ってくる。
体勢を変えるたびに背もたれが戻ってくるので、夜、何度も目が覚めた。

 夜が明けて、6時くらいになると、みんなだいたい起きている。
しばらくすると肉まんを配ってくれた。
これがうまい!!
外の景色は、海が見えたときが一番きれいだった。
砂漠にちょっと木がはえたような何もない所もあった。
何回も寝たり起きたりを繰り返して、いい加減疲れてきた。
前に座っている女の子は、かぼちゃの種を食べてはカラを下に捨てるので、係員が何度掃除しても床は汚い。
10時くらいには、お弁当が出た。機内食を安っぽくしたような感じだった。

電車の出発が遅れたせいもあるだろうけど、なかなかホーチミンに着かなかった。
結局20時間以上かかって、5時くらいにホーチミンに着いた。ふー、やっと着いた・・・

駅前にはタクシーがたくさんいて、行き先を告げると「5ドル」とか言ってくる。
「メーター」と主張すると、タクシーのお兄さんはにやっと笑ってメーターを倒した。
だんな(昭浩)は緊張した面持ちで、助手席に乗って地図をチェックしている。
ホーチミンはハノイ以上にバイクが多い。
タクシーは、何度もぶつかりそうになりながらも無事に宿に着いた。(映子)

ダナン駅
ダナン駅
 ベトナムの電車の中
ベトナムの鉄道に乗りたかった
ホーチミンの街並
ホーチミンの街並
宿の近くにあったフルーツジュース屋
宿の近くにあったフルーツジュース屋

ホーチミンのタクシーには要注意! ホーチミンのぼったくりは悪質! ホーチミンは治安が悪いので注意! ガイドブックにさんざんそんなことが書かれて、いろんな人からの話でも聞いていた。 だから、ホーチミンの駅に着いたときはすっごく緊張して、力がガチガチに入っていた。 ぼられないようきっちり交渉し、遠回りされないよう地図で逐次道をチェックし、お釣を渡すまで、こっちも料金を払わない姿勢を貫く。 無事に宿についたときは、本当にほっとした。駅から宿にたどりついただけなのに、目標を達成した満足感でいっぱいだった。(昭浩)

メコンデルタ1日ツアー   2月27日

日本人がとても多かったので、シンカフェのメコンデルタ1日ツアーは、バス1台が日本人で、日本人ガイドが着いた。このツアーで一番印象に残ったのは、そのガイドの田中さんの話だった。ミトーにつくまでベトナムの歴史、特に戦争のことをずーっと話してくれたのだ。日本人は戦争中に何をしたか、それを知らずに旅行に来ている大半の日本人の若者たち・・・とても耳が痛い。「ちょっとは知っているよ」と言いたい気もした。でも、そうやって胸をはって堂々と言えるほど勉強してから来たわけではない。ここに来てからやっといろんな事を知ったのだ。

 第二次世界大戦中に日本が米を奪ったため、飢えに苦しんだベトナムの人々の話、ベトナム戦争中にアメリカのために兵器を作り、基地を提供してきた日本、そして、ベトちゃん、ドクちゃんの話・・・。メコンデルタツアーに関係ないといえばないのかもしれないけれど、とても、ためになったし、勉強になった。

 ツアーのほうは、大きなメコン川で船に乗り、少しクルーズするはずが、波が高くてすぐに島に向かった。川なのに波が高いというのは不思議な気がする。海に限りなく近い、川なのだ。船を降りて、昼食後、小さいボートにのりかえて、ジャングルクルーズ。手こぎの舟にも乗った。熱帯の植物と茶色い川の水、そして青い空。気持ちよかった。ワニが出てきそうな風景だけど、ディズニーランドと違って、何も起こらなかった。船に乗ってゆったりとした時間を過ごしながらも、今日聞いた話のことをずーっと考えていた。

メコンデルタの支流
メコンデルタの支流を小船でさかのぼる
なっているパイナップル
なっているパイナップルと一緒に

このツアーで橋口さんに会った。
橋口さんは、52歳までホテルに勤め、そこでいろいろ考えるところあって世界に旅にでる。
そのときの旅のことが本になっていて、その本を僕は中国の麗江にある喫茶店でたまたま読んでいた。
52歳でバックパッカーになった橋口さんのその本には、33歳で旅に出た僕はとても勇気づけられた。
たまたま、メコンデルタを回る船の上で話した相手がその著者だったなんてうれしくてしかたない。
いろんな話を聞かせてもらって、昼間から一緒にビールをのんで、もうごきげんな1日だった。
こんな偶然てあるんだねー。(昭浩)

統一会堂とベトナム戦争   2月28日

ホーチミンは暑い。ものすごく暑い。今日はそれを実感した。統一会堂まで歩いていったときはそうでもなかった。朝だったので、わりとさわやかだった。統一会堂は、1975年にサイゴン陥落の舞台となった場所、ベトナム戦争終結の場所である。そのときに、無血入場を果たした戦車が、庭に展示されていた。中に入ると、当時大統領が使っていた会議室、応接室などなど立派な部屋がいっぱいある。4階からはヘリポートも見れた。そこは屋上のようになっていて、風が吹くと気持ちいい。そこから、階段で地下に降りると、しめっぽくてむし暑い。汗がじわじわ出てきた。作戦会議をしたところなので、地図がたくさんあった。他に電話や無線の機械らしきもの、そして、秘密の部屋っぽいところがたくさんあった。外に出ると、暑さ真っ盛り、汗があふれ出してきた。
戦争証跡博物館にも、戦車が展示してあり、他に爆弾などもあった。ここは、ベトナム戦争の写真がたくさんあった。爆弾や枯葉剤の被害状況、そして、拷問の様子を写したものは本当に目を覆いたくなる。世界各国のジャーナリストがとった写真では、特に日本人の沢田教一と一之瀬泰三の写真が目に付いた。フエの王宮の壁を背に戦うアメリカ兵の写真は、フエの王宮を見てきただけにとてもリアリティがあった。私は、多国籍軍として、ベトナムと戦ったアジアの兵隊の写真が目に焼きついてはなれない。こわい顔をしていた。彼らは何のために戦ったのだろう?対するベトナム人には、笑顔がある。祖国のために戦っているという自信というのか、誇りというのか・・・確かにつらい戦いだったと思うけれど、生き生きしている気がした。(映子)

サイゴン陥落の舞台、統一会堂
サイゴン陥落の舞台、統一会堂
 ホーチミンの博物館
いろいろ考えさせられる博物館

僕のお気に入りの場所はホーおじさん記念館。ホーチミンの生涯などがここにくると詳しく知ることができる。ハノイの軍事博物館に行って以来、ホーチミンってどんな人だろう?ってすっごく興味もってたんだ。ここに来て初めて知ったことで興味深かったのが、ホーチミンはベトナムをフランスから独立させるためにどうすればいいか考えるんだけど、そのためには、「敵のことを知らなきゃ」って船に乗りこんでフランスに行ってしまうんだ。しかもフランスだけでなく、アフリカ、アメリカ、ソ連などいろんな国々を回る。その考え方と行動力にすごい感心してしまった。あと一番気になったのが下の絵。これは、香港でベトナムを独立させるための共産党を発足したときの絵と注釈がつけらていたのだが、どう見てもマージャンをしている絵にしか見えない。僕は、想像した。多分同じような志をもった仲間とマージャンしているときに、「共産党をつくろうぜ!」てなのりで始まったんじゃないだろうか。マージャンしている場で決めたことが、その後の国の運命を変えたとなると感慨深いものがある。(昭浩)

ホーチミンがマージャンしている絵
絶対マージャンしている絵だよなあ

カオダイ教寺院とクチトンネルツアー 3月1日

またしても、シンカフェのツアーに参加した。カオダイ教は、仏教とキリスト教と儒教とイスラム教を混合した新興宗教だ。そう聞いて、私はなんとなくオウム真理教みたいなのかなと思っていた。実際に一生懸命お祈りをしている信者を見ていると、仏教やキリスト教と変らないような気がしてきた。信じるものは救われる、なのかなあとか考えてしまった。私はどの宗教も特に信じていないし、入ろうとも思わないけれど、他の人が何を信じようとそれは人の自由だと思った。ただそれが、お金儲け目的だったり、一部の人の利益のためだけに作られたりするのは困るけど。
次のクチトンネルでは、まず1967年のビデオの上映があり、戦いの様子などがわかった。ガイドの説明によると、トンネルは深さに3段階あって、3メートル、6メートル、10メートルである。一番上で生活ができるようになっていて、一番下は非常時に逃げられるように川とつながっていた。
 実際に入ってみると、かなり狭い。オリジナルの入り口は、もっと狭くて、日本人でもあんまり太っているとムリだろう。入り口は葉っぱで隠されていて、とても見つけられない。そして、中は狭い上に暑い。少ししか入っていないのに、すごく長くいた気になる。それくらい息苦しいし、汗びっしょりになる。座って歩くのもムリなくらい狭い所もあった。
他にもわなとか武器、そして、当時の若者の格好を再現した像があった。ホーチミンサンダル、首にスカーフ、そしてハンモックと米を持ち歩いている。アメリカの戦車が置いてあるところで、ガイドが「他の戦車のスクラップは日本に送り、日本が爆弾を作った」というようなことを言った。日本はやはり「死の商人」だったということをここでも知った。
帰りのバスで、考えていた。私たちが自分で情報を集めて、勉強すればいいのかもしれないけれど、このような事実を学校でも教えていくべきじゃないのだろうか?今の若い人たちが知らなくても無理もない。そんな気がした。だけど、そんな若者たちが作っていく世の中を考えると何だか恐ろしい。自分の子供たちの世代に、どうやって伝えていけばいいのだろう?

カオダイ教総本山
カオダイ教総本山でのお祈り
クチの竪穴
クチの竪穴
クチの竪穴に人が入る
クチの竪穴に人が入る
クチのトンネルの中
トンネルの中はかなり狭く圧迫感がある

チョロン 3月2日

ホーチミンの中華街チョロン、ガイドブックには「横浜のチャイナタウンとは全然違う」と書いてあっても、やはりそれを期待してしまう。
だけど、ガイドブックの言うとおり!!中華街といっても、ただのごちゃごちゃしたお店の多い街だった。
確かに漢字の看板も多いけど、ベトナムのどこにいっても少しはあるので、違和感もない。
マーケットに行っても、特に買うものもなく、ごちゃごちゃした狭い道を歩き、バイクにひかれそうになり、疲れただけだった。
たった1つの見所は、ティエンハウ廟だ。ただの寺といえばそれまでだけど、渦巻き線香がいい感じ。
ちょっと異空間という雰囲気で、私の好きな所だ。航海安全の神様なので、旅の安全をお祈りした。

緒論のお寺の蚊取り線香のような線香
線香が燃え尽きるのに1ヶ月かかる

ベトナムも今日で最後、いろいろ考えさせられることの多い国だった。
だんな(昭浩)は、ベトナム戦争の香りがするといった。平和になった今でも、その傷跡はとても深いと私も感じた。
ホーチミンに来て、いろいろ知るにつれて、とてもアオザイを作ろうという気にはなれなかった。
そんなのんきなことを、何も知らないで言っていた自分が恥ずかしくなったのだ。

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