夫婦で世界一周WWKトップページ 世界一周の旅行記 世界の食べ物 世界の宿 旅の家計簿 プロフィール

ニカラグア旅行記

2月18日〜2月23日

ニカラグアの地図

オレンジ色の国、ニカラグアへ  2月18日

宿のオーナーと同室のヨガの先生ウィリアムに見送られて、小雨の降る中出発した。残るレンピーラはあとわずか。なのに、コレクティーボに乗ると荷物をトランクには入れてくれず、座席を1つ使うことになったので、3人分払う羽目になった。(それでも値段はタクシーの半額ぐらい。)

私たちが乗るティカバスは、国際バスで結構いい値段するので、私たちにとっては高級バスだ。それなのに9時発のはずが、9時半頃にやっと到着して、10時ごろの出発となった。雨はまだ降っていた。1時間ほど走ると、係員はパスポートとお金を集め始めた。そして12時ごろには国境に着いていた。そこで結構待った。ホンジュラス側には闇両替屋がたくさんいた。

ニカラグア側では、全員バスから降りるように言われて、さらに待たされた。ここにはもう闇両替屋はいなかった。あきちゃんは、係りのお兄ちゃんが手続きをしているイミグレに入国税の料金表を見に行った。そこで、ティカバスが手続きに手数料を取っていることが判明。確かに、待っているだけでラクチンだけど、手続きくらい自分でできる。と思うとちょっとムカつく。

パスポートを受け取ってバスに乗り、ニカラグアの大地を走り始めた。何が変わったのかはよく分からなかった。ただ、オレンジ色の花が、山のあちこちに咲いていた。私の中でニカラグアの色はオレンジ色に決まった。ホンジュラスは紫、グアテマラは赤かな。

ティカバスのオフィスの宿に落ち着くと、そこで日本人男性に出会った。中米の先住民史を研究しているタスクさん。彼はニカラグアについてとても詳しいので、着いたばかりで何も分からない私たちに、いろいろと有益な情報をくれた。着いてすぐにニカラグアのお金をまったく持っていなくて困っていた私たちだけど、彼のおかげで何とかしのぐことができたのだった。(映子)

マナグアはけっこう危険だ。宿から2ブロック先の路地は強盗地帯らしい。タスクが教えてくれた。一本路地を違えば大丈夫みたいなのだが、でも路地一本の違いはでかい。タスクが言うには、よくそこでピストル強盗が出るらしい。
またまた大げさな、とその時は思っていたが、後で海外青年協力隊の典子さんの家にいくと、どうやらそのエリア、協力隊のなかで立ち入り禁止エリアになっている。半年の間に旅行者3人がピストル強盗に遭っていて、そのうち1人は撃たれて重傷。僕らは何もなかったが、僕らと同じ時期マナグアにいた日本人で実際ピストル強盗にあって身ぐるみはがされた人、さらに、その1ヶ月後くらいに同じ強盗地帯で強盗にあって現金500ドル、トラベラーズチェック1万ドル盗られた旅行者に出会っている。かなりの高確率だ。

行けばわかるが、マナグアはやばそうな雰囲気ムンムンな街なのだ。首都なのに人通りが少なく路地は暗い。
だから僕らはいつも宿の目の前でご飯を食べ、宿の中で酒を飲んでいた。それにしても恐い街だなあマナグアは。(昭浩)

マナグアでウルティモ・サムライ 2月19日

体の調子が悪い。昨夜飲み過ぎた。昨日宿であったタスクとラム酒を飲んでいたからだ。彼は酒が強く、僕は弱い。そして彼は僕より6つも若い。こっちは二日酔いだというのに、彼の方は全然大丈夫みたいだ。やめときゃいいのに彼といっしょに、二日酔いの胃に大量の朝ごはんのセットをかきこんでしまったから気持ち悪いままだ。

そんな午前中、僕らはプラサインテルと呼ばれるマナグアのなかでは大きいほうのショッピングセンターお金を引き出しにいった。日本人から見るととてもこぢんまりとした3階建てのショッピングセンターは、1、2階が店舗、3階がフードコーナーと映画館だった。3階の映画館ではウルティモ・サムライ(ラスト・サムライ)が上映されていた。この映画は見たいと思っていて上映時間などを調べようとしたそのとき、キュルルルとお腹がなりだした。いてもたってもいられなくなり便所にかけこんだ。ゲリだった。

革命前は王宮のあったといわれる丘に、映子はゲリでまったく何もやる気のなくなった僕を強引にひっぱっていった。王宮の跡はほとんど残っていないが、その丘実は火山のようで、丘の上には火口湖があった。首都のどまんなかにある小さな火山ってどこか滑稽だった。そしてここから眺めるマナグアの街はもっと滑稽だ。そこは首都と呼ぶより森と呼んだ方がいいのかもしれない。ずっと緑があって、向こうにはマナグア湖がある。緑に埋もれるようにして低い建物やときたま高いビルなんかがたっている。ホンジュラスの首都テグシガルパもしょぼかったが、ニカラグアの首都マナグアは首都としてのやる気も感じられない。でも悪くない。こういう首都って好きだ。首都だからってビルがいっぱいたっていなきゃいけないなんておかしい。緑あふれる首都のほうがいいじゃん。

ゲリは小康状態の様子であるが、依然やる気のない僕であった。しかし、結局その日の午後ウルティモ・サムライを見にいった。日本的なものへの懐かしい思いもあってかなり楽しめた。ゲリのこともすっかり忘れてしまうほど。ニカラグア人にもこの映画かなり人気があるようで平日の昼間だというのに結構お客は入っていたと思う。ニカラグア人は、「サムライ ムイ ボニート(サムライはかっこいいね)」と言っていた。しかし「トム クルーズ ロコ(トムクルーズはちょっとおかしいネ)」とも言っていた。でもはたしてニカラグア人に武士道ってやつが理解できたのかどうかそれは疑問だ。
ウルティモ・サムライを見たあとすっかり調子が戻った僕は、さらに調子にのってイグアナのスープを平らげ、またしても今度はビールで飲んだくれたのだった。(昭浩)

これが丘の上の火口湖。どろっとした感じの緑色がなんともいえない
緑に埋もれたニカラグアの街。明らかに他の国の首都とは違う

グラナダ 2月20日

ニカラグア南部の街グラナダ。この街は日本の田舎の夏休みののどかさだった。
首都マナグアからバスで一時間走ったところにあるグラナダ。ニカラグアの中心はもともと今の首都マナグアではなく、コンサバティブなグラナダとリベラルな北部のレオンの2つだった。
なにがコンサバティブなのかはよくわからないけど、グラナダの街はパステルカラーの家壁に赤茶の瓦が並び、ぽつりぽつりと教会が現れる、そんな街だった。

街のはずれにニカラグア湖があった。けだるく眠そうな湖だった。そしてあまりきれいではない。もちろんクソ暑いのに誰も泳いでいない。
そんなグラナダの街をしばらく散歩した後、僕らは海外青年協力隊としてニカラグアにいる典子さんの家に行った。典子さんとはメキシコのグアナファトとメキシコシティで会っていて、ニカラグアにいった際には遊びに行く約束をしていた。
典子さん家はマナグアからバスで1時間ほどの小さな町にある。そこでニカラグア人ファミリーの住む敷地内にある離れを借りて住んでいる。離れといっても小さな家くらいの大きさで、3DKの間取りの家をひとりで使っていてなんか快適そう。ニカラグアで暮らすのってとても不便でモノも日本みたいにあふれているわけじゃないし、大変そう、ってイメージだけど、ここなら住んでもいいかな、と思えるほどいい感じの家だった。
典子さんは毎日が忙しそうだ。週末は友達と休みを楽しんでいるようだけど、忙しくてあっという間に月日がたっているといったようである。ニカラグアを気に入っていて2年という任期だけじゃなくもっともっとニカラグアにいたいようだ。

僕は生まれてはじめて海外青年協力隊の人の生活を垣間見たわけだが、こういうのもおもしろいなあと思った。というのは、僕は海外を旅するのは好きだけど海外で働くのはイヤだなあと思っていた。働ける場所、住む場所が選べるのなら別だけど、指定された国にいって、それから2年間ほぼずっとそこに居続けなければいけないというはある意味地獄だと思っていた。
ニカラグアなんて僕のなかでは絶対ありえない住めば地獄の国だったのに、そんなニカラグアでさえ、いいかも、なんて思えてしまった。住めば都とはよくいったものだ。こんな国じゃ絶対住めないと思っていても案外いけるんじゃないかと思う。
これはひとつの発見だ。久しぶりに典子さんに会えてゆっくり話しができたのもよかった。収穫の多い訪問だった。(昭浩)

パステルブルーが青い空に映えるグラナダの教会
ニカラグア湖。特筆するべきことは何もない、けだるそうなただの湖

マサヤのメルカドと火山   2月21日

昨日飲み過ぎたせいもあって、朝のスタートはゆっくりだった。8時半くらいにシャワーを浴びた。といっても、すでに水は出なくなっていたので、汲み置きの水を浴びたのだ。まだ朝の涼しいうちだったので、ちょっとつらかった。典子さんはいつもそうなんだなあ。大変だなあ。

ミニバスでマサヤへ向かう。マナグアへ行くよりも遠いように感じた。爽やかな朝の風に吹かれて、外の緑をしばらく見ていたけれど、そのうち眠ってしまった。
マサヤのメルカドは、楽しかった。民芸品がいっぱい、興味深いものからそうでないものまでいろいろあった。動物の剥製、木の入れ物、革の靴やバッグ、ソレンティナメの素朴画などなど。ニカラグア人は芸術的センスがあるみたい。鳥の羽に絵が描かれているものなんかちょっと高いけど欲しくなる。あきちゃんは小さな素朴画を買った。私は、ヒッカロという植物でできた、かわいいコップを買った。本当は、典子さんちにあった器に彫刻が入ったものが欲しかったけど見つけられなかった。

メルカドの中でご飯を食べてから、タクシーでマサヤ火山へ行った。さすが活火山、火口から煙がもくもく出てきていて、「生きているんだなー」と実感、そして感動。向こうにもう1つ小さな火口があり、そっちも生きている。さらにもう1つあるけど、そっちは死んでいる。木々がたくさん生い茂っている火口を見ていると、爽やかな風がザーッと吹いてきた。

最後に博物館を見た。昔の火山の絵とか、噴火している絵、ジオラマやニカラグアの地図など面白かった。しかし、一番インパクトがあったのはこうもりだ。博物館の中に洞窟みたいなトンネルがあって、そこにバタバタバターと飛んでいるたくさんのこうもりがいたのだった。(映子)

典子さんとマサヤ火山で
ラ・コンチャの町のフルーツ屋台

この日僕は生まれてはじめて絵というものを買った
ニカラグアで有名な素朴画ってやつだ。ヒロ・ヤマガタっぽいんだけどその描かれる世界のトーンはちょっと暗い。それでもその絵が素朴でのんびりとしたニカラグアの空気をよく表現していて気に入った。大きいサイズは750円くらいで売られていた。これは安い!しかし、それは持ち運びに難があったのであきらめて、350円程の小さいものを買った。
絵心がわかる人間にこれで一歩近づいたんじゃないか。そう思いたい。

噴火するマサヤ火山に行って地球の息吹を感じだ。だが、典子さんにマサヤ市長のエピソードを聞いて笑ってしまった。ゴミ処理問題が議題にあがったとき、マサヤ市長はこのマサヤ火山の火口をゴミ捨て場にしようと真剣に提案したそうなのだ。しかも、市長の意見ということでそれが実現化しそうになったらしいのだが、アメリカが、それはイカンだろう、といったおかげで、マサヤ火山の火口がゴミで埋め尽くされるということにはいたらなかったそうだ。

もうひとつ笑ったのが、映子も書いているが、博物館の中に住んでいるコウモリ。展示物の中に住んでいて僕らが通るとバタバタバターといってかなりの数のコウモリが飛びまわるんだよ。とてもフツーじゃ考えられない。こんな博物館ははじめて。

ニカラグアってけっこう笑わしてもらえる国だ。僕はけっこう気に入っている。(昭浩)

レオンビエッホ 2月22日

多くの世界遺産フリークのみならず、多くの旅行者が僕も含めてユネスコによる世界遺産の安売りに振り回されている
レオンビエッホという遺跡はガイドブックにすら無視されるほどマイナーな遺跡。なぜか世界遺産。せっかく近くまで来ているんだし、やっぱり世界遺産だからいってみようか・・・こうして振り回されるのだ。

ローカルバスを乗り継いで遺跡のある村に到着。物好きなツーリストしかこないためか、村の人々がまったくツーリストズレしていないのに驚いた。
すれ違おうとしたおばあちゃんは、僕たちの手をとり、しっかりと握って、たいそうごていねいに挨拶をしてくる。それとは対照的に子供たちは奇異のまなざしで僕たちを遠目に見ている。こっちから声をかけてあげると、とてもテレながら、でも少しうれしそうにはにかみながら去っていく。そんな素朴な人々なのである。

入場料を払って中に入ると無料のガイドが1人ついてくれる。ガイドは一生懸命英語で遺跡の説明をしてくれた。
このレオンビエッホの遺跡はもともとスペイン人が植民のために造ったニカラグアの首都だったのだが、ちかくの火山が噴火して埋もれてしまい忘れ去られてしまったところだ。その点イタリアのナポリに似ている
町が埋もれたままで残っていればそりゃすごいのだが、遺跡自体はレンガの壁がちょろちょろ残っているだけのもの。それだけ。
遺跡はしょぼいがロケーションはなかなか味がある
その遺跡からはマナグア湖を近くに望み、その向こうにはきれいな円錐形のモモトンバ火山が構えている。そしてまわりはそれほど深くない森になっていてとてものどか。たぶんこの遺跡が埋もれてしまった頃からこのあたりの風景はかわっていないんだろう、そんな確信をもたせるほど時の流れを感じさせないゆっくりとした空気があたりに浸透していた。

その雰囲気はなかなかいいもので、この遺跡に来てよかったと思わせるのに十分であったが、もうひとつとてもいい印象を与えてくれたものがある。それはガイドだ。メモ君という若いガイドがとても一生懸命だったことにとても好感を覚えた。
なによりもこの遺跡に誇りを持っているというころが素晴らしいなあと思った。彼はユネスコ世界遺産の帽子をかぶり、このレオンビエッホが世界遺産であることにたいへんな誇りをもっている。

ここが世界遺産であることには少し首をかしげたくもなるが、この青年を見ているとそれはそれで良かったことなのだなと思った。ニカラグアにはあまり長くいないが、この国の人々にはそういった自国に対するプライドのようなものがあまり感じられない。ガイドのメモ君のようなハツラツと自国のものに誇りが持てる、そんな人が増えて欲しいものだと思う。(昭浩)

遺跡は何だかよくわからない。一言で言えば、しょぼい
ヒッカロの実。これでコップや食器を作る
レオンビエッホ周辺の風景。昔から変わらない景色ってこういうのかな
レオンビエッホの入り口の村。のんびりしている。ユネスコの看板が輝かしい

レオン観光の苦い思い出  2月23日

レオンの市内観光といえば、第一にガイドブックに載っているのが、中米最大のカテドラルである。確かにでかい。が、スペインなんかにはありがちな感じの教会だ。
その教会の中には、ニカラグアを代表する詩人、ルベンダリオが眠っている。しばらく中をうろちょろして探すが、よく分からない。掃除のおじさんに聞いてみた。するとどこからともなく現れたおばさんが教えてくれた。最初は親切なおばさんだなあと思って、どこから来たの?から会話が始まった。でもおばさんの言っていることがイマイチよくわからない。耳が聞こえない人や手足が不自由な人がどうとか言っている。それを助けるためにはたらいている日本人がいると言っているようにも聞こえる。そしてそれは、典子さんのことかな?とか思った。しかしそうではないらしい。

しばらくしてから再びおばさんは私のところに来て、メモ帳を見せる。それには名前と金額が書いてあった。どうやら金をくれということらしい。親切だと思っていたおばさんの株が一気に暴落し、すばやくその場を立ち去ったのだった。
その後行ったルベンダリオ博物館は、月曜日なのでしまっていた。とほほ。

英雄博物館では、事件が起こった。そこには、もう死んじゃったサンディニスタたちの写真がある。しかしその最後に、入場料無料のはずなのに、「Donationで1ドル(110円)払え」と書いてある。ノートに名前を書いた後、おばちゃんが再び金を払えと言ってきた。しかしDonationとは金額を決められたり、強制的に払わされたりするものではないはずだ。そう思ったので、無視して行こうとすると、「Chino(中国人)はいつも払わないのよね。」と言うように悪態をついてきたのでムカついて、「おれらは日本人なんだけど。」というと、「日本人もそうだ。」とか言い出す始末。ますますムカついて絶対払わないぞ!!とばかりに逃げるようにその場を去った。
もうカテドラルの壁画を見たら、この町ともおさらばさ。金、金、金でいいかげんうんざりしたよ。この町には。(映子)


レオンを去り僕らは、マナグアに戻った。そしてマナグア観光。
マナグア観光といっても王宮と地震で崩壊したカテドラル跡くらいしかないんだけど。しかし、その王宮や旧カテドラル付近は、1972年の地震で建物が崩壊してから復興する金もなく王宮以外はほとんどほったらかし状態。どういう首都なんだ?って思うけどこれがマナグアの現実。ゴーストタウンのようで、歩いていると酔っ払いや浮浪者がウロウロフラフラ。中にはこっちに近づいてくるのもいて、危険を感じる。夜なんか絶対歩きたくないところだ。絶対襲われる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日記を見直してみるとけっこうボロクソ書いているが、これでも僕はニカラグアがとても好きなのだ。とくにニカラグア人が好きだ。危険人物もいるが、正直で親切な人が多いと思う。
つり銭とかもよく平気で間違える。今日食べたスープ屋でも30コルドバ(210円)のスープを25コルドバ(175円)っていわれたので、「おばちゃんそれ安いよ。30でしょ?」って言ってあげると「あら間違ったわ、ありがとう、わっはっはっ。」とてもおおらか。
バスに乗ってもボラれることはまずない。きちんとお釣りも帰ってくる。タクシーだってけっこうな距離乗っているのにこんな値段でいいの?って料金で乗せてくれるし、運転手もひょうきんな人によくあたる。僕がタクシーを値切ろうとすると「こんなに安いのに値切るのかわいそうだよ。」と映子に非難を受けるくらいだ。
フツーに生活しているだけで、フツーに人の善意に触れる機会が多い。だから僕、そして多分映子もこの国が好きなのだ。見所は少ないし、危険なところもあるけれど、この国のこの良さはずっとこのままでいてほしいものだと思う。(昭浩)

カテドラルの廃墟。1972年に壊れてしまったままだ

中米の旅行記インデックス

中米の食べ物インデックス

中米の宿インデックス

ホーム 旅行記 世界の食べ物 世界の宿 家計簿 プロフィール
World Wide Kawa All Rights Reserved